クルマのあり方

お金持ちに取ってのステータスとは、チケットを入手することすら困難な人気アーティストに演奏を自分一人のためにしてもらうことじゃなく、超満員の会場の最高の場所で楽しむことである。ということを最近の高級車&スポーツカーの周辺事情を見ていて考えることが多くなった。

一方、庶民にとっての見果てぬ夢は、人気アーティストが自分一人のために演奏してくれるというもの。したがって高級車&スポーツカーを買えない人は、依然として憧れを持ち続けているのように思う。余計なお世話だ、と考える人もいるだろうけれど、これが現実というものです。

敏感なお金持ちは、そろそろ高級車や超高性能のスポーツカーを買って乗り回して喜んでいる時代じゃないぞ! ということを感じ始めている。それならどういったマーケットが出来てくるのだろう? おそらくプライスレスの楽しさこそ大きなテーマになってくるのかと。心の満足感ですね。

タイでゾウに乗る、というと大半の日本人は20〜30分程度のコースで満足するという。ゾウに乗ったという体験だけで満足する、というか、それだけが楽しみだと認識
しているからだ。けれど遊びに長けた白人達は違う。朝から夕方まで徹底的にゾウに乗る。ヘトヘトになるまで乗る。

もちろん楽しさはすぐ辛さに変わり、やがて遊んでいるのか修行しているのか解らなくなってしまう。やめようかとも思うだろう。でも体力を使い果たして全ての行程を終了した時の喜びや、一緒に過ごしたメンバーとの連帯感の強さと来たら、20分ゾウに乗って「楽しかったね」の比じゃない。

そしてゾウを理解し、深く尊敬出来るようになり、同時にゾウ使いの人たちの存在や人格、人生をも考えることだろう。そういった「物事の本質や奥行きを追求する」という考え方が日本人にも必要になってきた、と強く感じる。というか、それこそが中国や韓国の猛追を振り切る大きなテーマになると思う。

海外でラリーをやっていていると「プライスレスの楽しさ」を実感する。元イタリアチャンピオンであるマリーニ選手ですらWRCでTOPを走ろうと思っているワケではない。まぁザックリ言えば遊びだ。そいつを真剣にやることで、自分の人生を楽しみ、仲間やスポンサーを楽しませている。

人間の基本的なDNAは「人の喜びは自分の喜び」というプログラムになっているそうな。長い前置きになった。これからは自分を満足させるだけでなく、人にも喜んでもらえるクルマこそが重要だと考える。高性能車やスポーツカーが庶民の憧れじゃなくなったことを強く認識すべきだ。

禅問答のようなTOPにて失礼しました。


4 Responses to “クルマのあり方”

  1. ケイイチ より:

    お疲れ様です。
    国沢先生だけは少年のように・・いつまでも
    変わらない好奇心を抱き、洗練された大人の
    行動力を失わない人だと感じます。
    俯瞰の立場である我々は・・・萎縮して何も
    出来ない日常を反省しない(楽しもうとしない)
    のが大人だと思いがちですが。
    率先垂範するというか楽しみを教えてくれる
    貴方の行動があるからこそ・・・
    後の・・パラダイムに通じるのだと確信しま
    す。
    もっと色々教えてください。
    クルマは、それを取り巻く環境(人間)こそ
    素晴らしい思いだと。

  2. ゲイン より:

    日本は小さな島国ですし、西欧諸国が開拓や交易や侵略に明け暮れてる最中に鎖国しそれで満足していた民族です。その反動もあったのか開国後は急激に発展しましたけど、本来日本どころか県より小さい藩の中しか知らず一生を終えておりました。
    その時代の人々は不幸だったのでしょうか。結局時代によって人によって幸せの形が異なるので他人の幸せなんて分からないです。
    私自身の人生は楽しいものですが、人の趣味や楽しみは理解し難いものです。ですが国沢さんの人生の楽しみ方考え方は私にとって刺激的で楽しませてもらっています。人の喜びが、自身の喜び・・・親しい人間に対してはそうですが、誰にに対してそう考えられる時期がくるのか疑問ですが、そう思えるようになりたいです。

  3. 真鍋清 より:

    まさしく我が意を得たり!
    この国ではかつてほどではないものの、依然渋滞時に路肩をぶっ飛んでいく高級車が多い、Sクラスメルセデスからクラウン/フーガまでとにかくnoblesse obligeとは程遠い行為だ。
    言うまでもないことだが彼ら「高級車を買える人間たち」は自分たちが乗るクルマの本当の価値や設計者の哲学を味わいつつ乗っているとは言い難い。あくまで「弱肉強食」のベクトルの上に立った、野蛮で汗臭い「特権意識」によるものに相違なかろう。
    そうした発展途上国・新興国的意識のもとに乗られる彼ら高級車たちは、それがブガッティ・ヴェイロンやベントレーであれクラウンロイヤルサルーンであれ実にダーティな空気を周囲にもたらしていると断言できる。
    表層的な金ピカの文化圏の下、表層的価値でしか語られていない存在はやがてメッキも禿げ、誰も敬意を抱かなくなるのは自明の理なのだ。
    どんな事物にも表裏があり、酸いも甘いも知り尽くしてこそ真髄に迫るわけであり、そこまでディープな付き合いを出来るのにはその存在に見合った器量…..単に経済力だけでなく、物の本質を見分けられる高度な感性が絶対必要であるという「当たり前の現実」を世にはびこる高級車やスポーツカーとその乗り手との関係を見て再認識させられる次第なのだ。
    そうした意味で、小生がSクラスメルセデスましてロールスロイス/ベントレーに本当に見合った乗り手になるにはあと数百年かかっても適わない、いや目下所有中のレクサスIS350でさえも適正に乗りこなせているとは自信を持って断言できないわけで、やはり2004年式/82400km走行のオンボロ・ヴィッツこそが当方の生活リズムにマッチしているのでは、フェラーリやブガッティ、日産GT-Rは「実生活の波長を超えた性能・価格」故に人々の憧れ足りえず絵に描いた餅に過ぎないのではと、人とクルマの関係についてあれこれ思いを巡らさずにいられない今日この頃だ。

  4. 二郎麺半分の介 より:

    自己所有のゾーを自在に駆使してラリーに出場 これこそ環境と道楽の両立であり 目指すところではないでしょうか?
    ブガッティ乗りでさえ一目置いてくれそうですし 量産高級車乗りは これを見てステータスとは何か 自分の車人生とは…と考え直しそうです
    さあ 今日のラーメン二郎 昼から食べるのでニンニクは入れないぞ!

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