広島に原爆が落とされた日。マツダ宇品工場に被災建物が残ってます

1945年の8月6日、広島に人類史上初めて原子爆弾が投下されました。単に原子爆弾の凄さを日本に見せつけるだけで無く、広島の市街と人達に最大限の被害を与えられるよう、地上600mで起爆(9日に長崎に投下された原爆は500mで起爆)。熱線と放射線と猛烈な爆風、そして直撃を免れた人達にも放射能を含む汚染雨によって被災しました。

被災建物と言えば原爆ドームが世界的に広く知られているものの、その他の被爆建物は安全上や商業的な理由により壊されたり改築されたりしており、急激に減少している。そんな中、マツダの宇品工場の中に当時のままの外壁を残している建物があります。戦争まで紡績工場としてして使われていたガッシリとした建物で、被災時は陸軍船舶練習部として使われた。

爆心地から4kmほど離れていた上、丈夫なため爆風に耐えた。被災後に残った希少な建物となり、最大で6000人の被災者を受け入れる臨時の病院にもなっている。マツダの人達は代々この建物を守ってきた。フォード時代、壊すという話も出たと聞くが、今も倉庫として使われてます。公開はされていないけれど、工場取材の時に教えて頂いた。胸が詰まります。

広島も日本も原爆の被害を「遺恨」にしないという方向を決めた。このあたりは「広島人」の人柄もあるのだろう。オバマ大統領が来た時の姿勢を見ればよ~く解ります。恨みって将来のためにならない。とてもよい選択だったと思う。ただし。2度と原爆の被害者を出さないようにしなければ、被災された方々も嘆くに違いありません。広島と長崎は子供や孫に伝えてきたいです。

 

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