吉見ヒャク穴

18時からお通夜ということで少し早めに家を出たら、東松山ICを降りた時点で1時間半の早着になる感じ。どうしようか考えてたら突如「吉見百穴 3,6km」の標識が目に入り、反射的に「行ってみようか」。自分でも不思議でございます。子供の頃、見た記憶がうっすらとあるけれど、一度訪れたいと思っていました。

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この穴、以前は住居だと思われていたという。その後、古墳時代のお墓だと判明。これからお通夜に行くことを改めて実感す。故人になってしまった桂田さんと初めて会ったのは1987年のこと。まだ葛生のテストコースが出来ておらず、狭い太田のテストコースでクルマの開発をしていた。

環境が許すならこれを聞きながら

ワケあって試乗会の時に出た挙動の再現テストを頼まれたのだけれど、その時に担当していたのが1989年にデビューするレガシィの開発をしていた桂田さんと荒澤兄、そして辰己さんだった。当時のスバルはレオーネの低迷で危機的な状況を迎えており、起死回生の新型車を作ろうとしていたのだった。

この3人が中核となり、スバル大復活を果たす。吉見の百穴を歩きながら「そういえば桂田さんは東大の飛行機屋さんでしたね」。すると大きな横穴の前に「地下軍需工場跡」との表示。読んでみたら「中島飛行機のエンジンを作るために掘られ、昭和20年の7月から稼働を始める計画だった」。

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このサイトで詳しく紹介されてます

言うまでもなく中島飛行機は富士重工の前身。人の気配を全く感じない洞窟を歩きながらまたも桂田さんに思いをはせる。昨日の写真の桂田さんの隣は奥方のバーバラさんです。ドイツラリーに来ていたのだけれど、桂田さんは指揮官として多忙。そこでヒマなジャーナリストである私に「家内にラリーを見せて頂けませんか?」と。

私は日本に戻ってTVの解説だけだったこともあり、他の売れっ子ジャーナリストと違い、その日に結果をレポートするような仕事無し。ということで1日バーバラさんとラインの河岸で行われたSSを何本か見て回った。とても素晴らしい方で、STIの社長の奥方だということを全く表に出さない。

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右が桂田さん。隣にバーバラさん

コースサイドでラリー車が来るのを待っている間、スバルのジャケットを着たバーバラさんはドイツ人のおじいさんに話かけている。御存知の通りドイツと日本はアメリカと戦争をした。バーバラさん、アメリカ人です。なのに日本人の旦那さんを持ち、戦争を体験したろうドイツ人のおじいさんと楽しそうに話をしてる。

「いい世の中ですね」と心底思った。朝鮮半島の人達を動員して突貫工事で作ったという吉見百穴の中島飛行機の軍需工場の跡を見ながら桂田さんを偲ぶ。STIへの転籍が決まった際、桂田さんに呼ばれ長い時間、忸怩たる思いを聞いた。やはり富士重工に残りたかったようだ。

入社以来、ずっと市販車を手がけてきた桂田さんにとって、STIは理解出来なかったのだろう。「WRCはF1と並ぶ権威ある文化でスバルのブランドイメージを作るにあたって最も重要なんです」と私。その後、桂田さんはSTIで素晴らしいブランドイメージを作った。富士重工にとって2回目の貢献です。

お通夜には荒澤兄と辰己さんも。仏教では故人を思い出すのが素晴らしい供養ですと言う。ちなみに桂田さんはクリスチャン。お通夜はキリスト教だったけれど、やはり亡くなった方に対する思いは共通だ。帰宅し、桂田さんを思い出しながら飲む。安らかにお休みください。もう一回くらいクルマ談義をしたかったです。

さらばスバルよ(動画です)


2 Responses to “吉見ヒャク穴”

  1. kine より:

    レガシィの10万キロ走行の速度記録達成のテレビを見たり、雑誌の記事を見て、発売前の車で凄い記録を打ちたてたもんだと思いました。
    レオーネの4駆に乗っていた方は”もっとパワーが有れば”と思っていたそうです、それがレガシィで倍位のパワーになったのですから。
    NHKのWRCの放送を楽しみに見ていました。

  2. applefanjp より:

    中島みゆきさんの「地上の星」。
    その歌の意味を考えながら、師匠のこの文章を読み、
    読み終えて、もちろんエンディング。
    ビジョンに向かって、人々は集い、
    信頼と尊敬を集めるリーダーのもと
    何かを成し遂げる・・・。
    これからの日本に最も必要なことです。
    混迷かつ先の見えにくい未来だからこそ。

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