私は本当に人に恵まれたと思う(Day5)

今回何とか走れているのは喜多見さんの手腕によるところが大きい。例えばボルトの締め方一つとっても膨大なバックボーンが要求されるのだった。もちろん新車であれば規定トルクで締めれば良い。されど50年経つと、当然ながら新車時の強度が残っていない場所もある。

規定トルク掛けると、折れてしまう可能性大。折れたら危険だ。何の為のボルトなのか判断し、経験値から強度も考えつつ必要にして最小限のトルクで締めていく。緩む可能性もあるため、毎日チェックしなければならない。50年前のクルマを走らせるにはそんなノウハウも必要なのだった。

フロリダを出発してからの5日間、毎日”町のヒストリックカショー”が19時30分に終わってから23時までフルメンテを行ってます。喜多見さんが走行チェックを行った上、ジャッキアップしてサスペンション関係など足回りのボルトの増し締め、ガタのチェック、そしてブレーキのコンディションも。

しかも使用条件が過酷。連日400km程度を今のクルマと同じくらいのペースで走る。荒れた道もあるため下回りを擦ることも。今日はバウンドしてフルボトムした際にオイルパンが押されたことにより、ミッションオイル漏れを起こした。ゴール近くになってシフトフィール変わってきたほど。

喜多見さんには人を引き寄せる何かがある

という状況をアンダーガード外して点検した時に発見。あと100km走っていれば厳しかったかもしれない。これまた夜のサービスでオイルを補充。走行チェックしてみたら、シフトフィールも元に戻った。いや、オイルが良いのか、これまでより良くなったほど。

日焼けしました

本日の朝、スタート直後に高速道路で追突されてしまった。朝のミーティングの時「高速道路だとボディ小さいため距離感が掴みにくい。プレスカーのフィガロでキチンと後ろをガードするようにしましょう」と言っていた矢先の出来事だったため、正直なところ、ショックだった。

解っているのにミスるというのが悔しい! そのための経験値なのに。リタイアすることも考えたけれど、走行関係の部品は損傷無し。燈火類も損傷無し。リアエンジン車のため重要な部品は全て後部にあることを考えれば驚く。これまで以上に気を付けろ、という神様の意思か?

夜のサービスで補修

考えてみたらどんなことをやるにもリスクはある。リスクを嫌うなら家で寝ている方がいい。最近、そんな時に考えるのがモリゾウさんだ。あれだけ大きい企業のTOPなら自分でハンドル握ることさえ難しい。クルマに乗らない自動車メーカーの社長だっているほど。なのにラリーまで出てる!

ただリスクを最小限に抑えることは、さらに重要だと思う。ラリーという競技、ドライバー以上にコドラを守らなければならない。そこが一人で戦うレースと違うところ。これまでも安全確認をずっと行ってきたけれど、今度は喜多見さんにプレスカーのフィガロで後ろをガッツリ守ってもらう。

さらに今回、コドラの小島さんを始め、初めてお付き合いすることになった上野さん、昨日帰国したベスカーの飯島君、全行程を堂々してる交通タイムスの三沢君などにいろんなことを手伝ってもらい、心配してもらい、励まされている。みんなの助けを借りて走りたいと思う。

今日もこんな笑顔が見られるかな?

グレートレース、単なる大陸縦断イベントかと考えていたら、トンでもないこと。1972年以前のクルマを走らせるのは、国際規格のロールケージ組んだ競技車両でフルアタックするのと同じくらい難しい。皆さん外観はノンビリ見えるけれど戦っている。なるほどグレートレースだと理解してきました。

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