6年前の3月11日を思い出す

6年前の今日、家で原稿書いていたら地震。最初から「大きいぞ!」と思ったけれど、ドンドン激しくなっていく。私の家は丈夫なので心配しなかったけれど、いよいよ関東大地震かと覚悟した。1分少々で揺れは小さくなったが、けっこう遠くの震源だったことに衝撃を受ける。現地は大丈夫か?

真っ先に心配したのが子供である。ムスメは栃木県の小山。ムスコも栃木県。幸い二人とも無事を確認出来た。続いて中野のうなぎ屋。電話したら大丈夫でしたとのこと。それでも心配だったのでバイクで向かう(クルマでは移動すべきじゃないと判断したが正解でした)。電車は止まってます。

TVを見ていたら福島から岩手にかけ、信じられほど大きな大きな津波に襲われている。そしてガソリン不足が始まった。私はプリウス満タンだったし、夜の電力についちゃ余っていたので納車されたばかりのリーフも使えたため全く困らず。ただ東北の読者の方から「困ってます」という連絡。

思い当たる場所があったので聞いてみたら「ありますよ」。この時にいわき市まで運んだ貴重な液体は、老人ホームや独居老人などに食料や水を配るのに使って頂けたという。さらに「飯館村が困っている」ということで、数日後、今度は東北道で郡山まで貴重な液体を運ぶ。

さらにサポーターの方が被災している、ということで救援物資を持って気仙沼へ。この時はプリウスが相棒だったため、気仙沼まで往復+αも無給油。そろそろ物資も困らなくなっているというので、安心して帰ってきました。ただ現地に行って災害の規模に驚く。海辺の街はゴッソリ消えています。

この時に感じたのが「災害への備えをしておく」ということ。7日間食いつなげるだけの食料と水さえあれば何とかなるということと、脱出の手段を持つことの2つ。さらに警察が治安維持をしてくれないということも思い知った。火事場泥棒、スンゴイです。自分の身や財産は自分で守らなくちゃならんです。

被災地域で火事場泥棒が横行していた日、東京都内ではガソリン無くて交通量激減の中、警察はいつも通りの違反取り締まりをやってましたから。ということで私が関東大地震に遭遇した場合、自宅にいたなら可及的速やかに大切なモノを持ち、孫を含め「乗れるだけ乗せた」バイクで東京を脱出します。

都市部では食料や水不足が深刻になることだろう。地震なら50kmも移動すれば全く状況違う。皆さんも今日は防災についてジックリ考えた方がいいと思います。まぁ考えたトコロで、地震の時に首都高を走っていたら落橋しておだぶつですけどね。アクアラインで溺れるかもしれないし。

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