渋谷のデモ
昨日渋谷で行われた原発反対デモ、警察は「押さえ込んだ」と自己評価しているだろうけれど、新たな問題を提起したと思う。警察の指揮官は「参加しているのは極左の野郎共」と現場の警官に擦り込んだんだろう。もちろん警察官僚は極左でないことを十分認識している。官僚って判断能力を持っている。
でもそんなこと現場の警官に言っても理解不能。というか普通の人だと思ったら警官だって強く出られない。加えて高円寺のデモを研究したのだろう。デモの列を徹底的に分断した。驚くほど大量の警官を動員し、小さいグループに分けたのだ。デモに参加している方は「普通の人」なので、コントロールされてしまう。
参加している人の大半は「警察に逆らう」という気持ちなど持ってませんから、結果として何とも気が抜けたデモになった。でも結果オーライだったと考えます。天気悪かったので「大暴れ上等」の輩が入ってこなかったし、大きな争乱もなし。単純に警察の威圧感だけ際だたせることに。
今後もしかしたら下火になるかもしれないが、大きなトラブルになっていないため再び盛り上がる可能性も残した。もう一つ認識すべきは「熱くなりやすい人は参加しない方がいいですね」ということ。私が参加していたら、警察に対し強い怒りを覚えてしまっただろう。ええじゃないか、は穏やかな人のお祭りです。
逆にあれだけ多くの警官を配備した警察官僚の危機感たるや相当のモノだったろう。国民は抑えられてしまうのか、それとも大きな不満を抱えている国民がキチンと自分の気持ちを主張出来るのか? 今後も毎週のように反原発イベント(デモというと左翼みたいですね)は行われる。
ユッケの問題も根っこは同じ。問題出た規制について言えることは基本的に「厳格化」か「放任」というチョイスしかない。今回の事案の問題点は「厚労省の立ち場が中途半端だった」という点に尽きる。サカナは鮮度落ちれば中毒を起こす、ということなど当たり前だ。でも大きな問題になっていない。
ギョウカイで自主規制しているし、消費者も認識しているからだ。例えば築地市場では中毒の可能性のある魚種を扱わないという共通認識がある。「超ウまいけど4切れ食べたら腹をこわす」というアボラボウズなんか築地じゃ長いこと扱い禁止だった。また、生食用と加熱用という表示あっても、あくまで「目安」。
フグのように特殊なサカナは厳格に管理しているけれど、普通の魚種についちゃ「常識」で流通してます。生肉も「加熱用」なんていう中途半端な区分を付けるから流通段階においての責任逃れを許してしまう。規則なければ「危ないと思う人は食べない」。食べる方も「安全だと思える店で食べる」。
蓮舫議員は規制厳格化を目論んでいるようだけれど、こういうことが役所権力の強大化をもたらす。事業仕分けの反対です。そして国家にコントロールをゆだねた途端、国民は自己判断応力を失っていく。原発は安全だ、と言われれば「はいそうですか」になってしまうワケ。この仕組み、いつまで続くか?
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もし蓮舫さんが単純に食肉の規制強化を目論んでいるなら、それはやはり管政権の人材難の一環でしょうね。食肉業界はミートホープ事件が記憶に新しいように、どうしても倫理観が甘いところがあるようです。それならばもっときちんとした業界(業界団体)を育成して、業界の自主的な基準や表示方法づくりを徹底させて行く方向が望ましいと思いました。
多少時間はかかるかもしれませんが、省庁の権限強化ばかり先行して実体経済を阻害するのに比べたらはるかにマシかと。
危機管理・・・職場でよく使われ、私たちも意識しているのですが、やはり、個々人の危機管理、危機意識が問われている世の中になっているように思います。逆に言いますと、そんなこと危ないって当たり前じゃないか?って、親から子へと受け継がれてきたものさえもマニュアル化しなければならないということでしょうか。
7日のNHKのニュースで浜岡原発の件報じてました。その映像の中で反原発デモの映像が流れてました。(渋谷デモかは不明)プラカードに浜岡原発反対的な事が書かれていました。
反原発の民意を示すにはデモは良い手だと思います。ただネット上では過激な反原発の意見が多い割りには実際のデモは小規模だという印象です。
私自身は、自ら初期の反原発デモに参加するほど積極的ではないですが、無関心ではないって感じです。おそらくこっちの市議会でも、川内原発の在り方についての議論はあると思いますが、どうなるのでしょうね?