理数系と原発
理数系は「同じモノを分析すれば同じ結果になる」ことが金科玉条である。だから自動車のエンジンフィールまで解析し、数値化しようとします。可能なら恋愛まで数値化したいと思っていることだろう。なのに原発に関わる問題を見るとどうよ! この人達はみなさん文系か? いや、哲学者か? と思う。
言うことがバラバラなのだ。リスクがあるけれど使う道具、という点では飛行機も自動車も同じ。ただ飛行機事故も自動車事故も物理的には後を引かない。そこで全て終了する。事故やトラブルのノウハウも活かせるし、理数系の設計者は実際そうやってブラッシュアップしてきた。
いやま飛行機も自動車も十分に納得できるレベルの安全性を確保できていると考えます。されど原発は未だ黎明期にあるのだろう。飛行機でいえば乱気流に遭遇した時の「気流の悪さ」に対する抵抗力の基準すら決まっていない感じ。クルマで言えば、衝突実験や実例も成しに安全性を考えているようなもの。
そうはいっても人間って御都合主義。普段は「短距離移動のバスであってもシートベルトは締めなきゃいかん」とか「リアヘッドレストが」みたいなことを言う原理主義者もフィリピンに着いたら、無し無しのタクシーに乗ったりしてる。タイでノーヘルのバイクを見ても無視している。ここが原発論議の難しさだ。
地元に原発が無い人からすれば、フィリピンのタクシーのリアシートベルトである。原発の地元で原発を支持する人は、タイのバイクタクシーに乗るタイ人と同じ(なぜか運転手はヘルメットを着用してる)。感性の差や温度差がある、ということ。私は懲りるべきだと考えます。ドイツとイタリアを見習いたいモノ。
原発は飛行機やクルマのように事故を教訓にした進化や、実物を使った実験が出来ない以上、洗練された「道具」には成れないと思っている。理数系が「もんじゅ」や「ふげん」という宗教用語を使うなんて間違ってます。子や孫の時代を考えたら1〜5年スパンで二酸化炭素の排出量が増加しても、やむを得まい。
コメから基準値を超える放射線が出た。作付け前は問題なしと言われたそうだ。当然でしょう。だってホットスポットと呼ばれる場所は点在している。たまたま放射線量が少ない場所から取った検体ならOK。その5m横の検体がダメだってことは普通にあること。やはり若い人はお米に注意すべきだと考えます。
メディアもあれだけホットスポットの報道をしているんのに、どうしてお米は”たまたま計測した検体”の数値が規制値を超えてなければ大丈夫だと思っているのだろうか? それとも全てのお米をチェックしてるとカン違いしてる? 消費者は混ざったら全く見分けられないです。心配な人は新米が出る前に‥‥。
<おすすめ記事>
朝のテレビでやってましたけど、国が稲の作付けを許可したのか不思議でした。サンプル用に作付けするなら分かりますが、田んぼ耕すと除染が困難になりますから長い目で見ると不利です。最初に補償金を渡して除染まで作付けを我慢して貰うのが良い方法に思えます。
恐らく基準値を上回った分を廃棄したり、市場価格が下落した分の差額を補償したほうが金額的には安上がりに出来ますし、農家を現地に固定できます。先に数年分のお金を渡してしまうと、農家は労働から解放されて政権を批判する側に回る可能性もありますから、国は補償を生かさず殺さずの方向でやってるように感じます。
机に座って、パソコンのキーボードを叩いて
できるだけ、「うまくいく」方法を考える。
誰にとって、「うまくいく」のか。
誰にとって・・・。
食品表示の項目の一つとしてベクレル表示が義務づけられないのだろうか?
まったく消費者には、大本営発表の数値しか知らされず、産地でしか選択の余地がない。風評被害だと消費者は購入を強いられているが、食品表示されれば解決するように思える。(表示偽装は勘弁願いたいが…)
膨大な広告費と政治献金、立地給付金に足を取られて正常な判断・批判がなされていない状況なのでしょうか?
小出助教授によると、国と東電はメルトスルーしている格納容器の意味不明な冷温停止に国民の耳目を集め、捲き散らかした放射能から注意をそらそうとしているとのこと。国民を欺く次の手品の準備なのかもしれません。
前にも話題となった武田氏と氏に対する批判を改めて読み返すと考えさせられます
(参考)
武田氏ブログ
http://takedanet.com/
武田氏の批判
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110318
小出助教授による現状分析
http://hiroakikoide.wordpress.com/
本来ならば師匠の辛口の楽しいクルマ談義を楽しみにしているのですが、残念な社会情勢に、つい書き込みしてしまいました。お許し下さい。
師匠のプリウス日記に影響を受け?我が家でも父が震災直前にプリウスSを購入したものの、高速でのハンドルの座りの悪さを気にしています。師匠のプリウス日記その後をお待ちしています。
原発のある県に住んでいますが、おっしゃる通り
最大の問題は
“事故(が数少ない)から多くを学べない”
“フェールセーフが効かない”
であります。
作ってしまった原発は動かさなくても動かしても
コストがたっぷりかかってしまいます。
核融合ができれば・・。という御仁もおられますが、
今の技術では
「原発はいったん縮小」が理にかなうのと思うのです。
放射性物質の濃度分布の差だけでなく、放射壊変は確率の問題です。1万個のすべて同じ同位体の半減期1分の放射性原子の放射能を1分間測定すれば、確率的に約5000カウントの放射壊変が起こるので100%検出したとして5000/60=83ベクレルが測定できます。137CSのように半減期が30年もあると、確率的にたとえ10分間測何度も測定しても測定誤差が大きくなります。放射能が低ければ低いほど、半減期が長ければ長いほど壊変の時系列の誤差は大きくなり、たとえば500ベクレルと200ベクレルに大きな違いがあったと、マスコミは言ってますが、そこにどれだけの違いがあるのかを考えてみる必要があるのではないかと思っています。
誤差のある数値を測定するときは平均値をとるのが普通で、回数を増やすほどに誤差は少しずつ小さくなります。大量生産の現場では時間が限られているので必要な繰り返し測定ができない場合もありますが、食物の放射能を測る場合など、十分に時間をかけて誤差を最小限にしていると思いますし、無視できない誤差を含んだまま暫定基準値と比較するなどという素人じみたミスはしていないと信じます。
ただ、日本の原発政策にはどうしても信じられない点がひとつあります。それは安全性に関する改良を認めないことです。改良を認めると、それ以前の原発が安全でないことを認めることになるから、というのがその理由らしいです。日本の原発は、その多くが古い技術で作られており、さらに採算の問題から当初予定した耐用年数を超えて使おうとした。原発は発達途上の工業製品なので、本来であれば耐用年数が来るか来ないかのうちに、より設計の新しい、安全性の高いものに置き換えて当然だったのですが、日本の行政はそのように指導せず、同じような構造の原発を同じ場所に作り続けました。