朝まで修行
グチョルが来る前に、と朝から日光へ。ジツは東照宮、行ったことない。近所を何度も通ってますけど。「日光見ずしてケッコウを語るなかれ」と言われるくらいなので、生きているウチに見ておこうと言う作戦。途中、鹿沼から日光を目指すと見事な杉並木が! 日光街道より美しいじゃありませんか!
素晴らしい街道です
『例幣使街道』(れいへいし)でございます。交通量少なく、しかも延々と続く。いやいやこんな美しい道があるなんて思ってもおらず。クルマを運転していて楽しい。あっという間に東照宮の駐車場到着。入場料1300円。けっこう高いのね。切符切る場所に「阿吽」が。あら? 東照宮ってお宮かと思ったらお寺?
サルは仏教
続いて「見ざる・言わざる・聞かざる」でござる。このサル、初めて知ったのだけれど設定が子供なのだという。子供のころは多くの社会現象について無関心で良い、ということだという。確かに判断力を持てる大人になったら見ざる・言わざる・聞かざるなんて超無関心無責任野郎だ。なるほど、と感心しきり。
ネコの他にも多数の動物が
サルの建物の先を右に曲がり、階段を上ると陽明門。ここの門番は武将で、どうやら神道風(そもそも東照宮の参道には鳥居がある)。右に曲がると酒の展示場とネコ。酒の奉納大量! キリンビールのキリンは伝説の動物。東照宮にもたくさん描かれている。ちなみに神道にゃお酒は欠かせない。
神様が奨励してるんだから酒は飲む
本殿は工事中。作業終わっている場所は下のように鮮やか。これを見て「せっかくの歴史が台無しだ!」と言うワケワカラン人もいるのだという。 そもそも日本の文化は「新しさを持って良しとする」。だからこそキチンとした神社は定期的に建て替える。古さは「勢力の弱さ」度になってしまうワケ。
きらびやか
日本文化は古さを尊ばない、ということを認識すると、日本人の価値観が解ってくると思います。「新しさ」や「旬」こそ上等なのだ。27年に修復終わったら、キンキラになるだろう。ぜひ訪れたいと思う。続いて「鳴き龍」を聞きに本地堂へ。ここはお寺です。2礼2拍手でなく、両手を合わせましょう。
雨の東照宮もいいね
堪能したので帰り道にあったユバの定食屋さんに。メニューは1つしかなくて、3900円。ローカロリーですな。途中、佐野のアウトレットに寄り、グチョル接近で荒れ始めた東京に戻り、六本木で行われていたシトロエンDS5の発表会。当然の如く終了時点の20時30分頃は爆風&ドシャ降り。
こらダメだ、と「城市兄がたまには飲みに行こうか」。こらもう兄と飲んだら当然の流れで、店の外に出たら明るい。多少風が強い程度で、もはや路面も乾いている。タクシー乗り家に着いたら4時30分。今日は朝10時に都内で取材会。そもそも起きられるんかいな。そんなこんなでナニもアップ出来ず。
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師匠!
なーんか変だな〜って思ってたら。
城市編集長と朝帰りだったんですね!
いいな〜!
あっ、そうそう。
東照宮でしたね。
そうですか、今、お色直し中なんですね。
自分も修復が終わったら、また、訪れようと思います。
湯葉はねぇ、あんまり得意じゃないんです。
食べ物といえば、土用のウナギが近づいて、
また、価格上昇などのニュースが!
ここんところ、曇り空が多くて、師匠も気を揉んでおられることでしょう。
政局にも!
例幣使街道、これって国道122号線の旧道ですね。
現に国道122号線は赤羽/鳩ヶ谷から続いており、鳩ヶ谷市内を走る122号線旧道(正確には埼玉県道105号線さいたま鳩ヶ谷線)には狭い道幅を彩るクラシックで古き良き日本の家並みが並び、同路線を愛車ヴィッツ1300U-L/2004年式で走ると小ぢんまりした街並みに小ぢんまりしたクルマで、流れる空気も牧歌的になる感がします。
小生もそんなヴィッツ(100850km走行)を駆って近いうちに日光へ行きたいと思います、それより前に日本語教師募集(中国の国公立大学並びに岐阜)に向けて書類を出し終えておこうと企てております。
東照宮は設計図からデザイン画、色見本までそれらの類全て保存されているそうです。初めから改修工事をすることが前提で建てられているんですね。建てられた当時の姿をいつまでも残し東照権現をいつまでも崇め奉るということでしょうか。この保存されているというお陰で早期に世界遺産に登録されたそうです。話は違いますが、門に入る手前の左側だったと思ったんですが、伊達正宗が奉納した鉄の大きな灯篭がありまして、うっすらと錆びているんですが朽ち果ててはいないんです。何百年ですよ。昔の技術はすごいのがありますね。
東照宮の独特の美しい造りを見て思うのですが、
和,東,洋,折衷のなんでもありと言う感じ。
実際に色んな国の寄贈品も敷地内にあります。
で、家康さんの故郷は名古屋。
名古屋文化って何でも垣根無しで受入れて混ぜちゃう。
あの伝統はこんな昔から脈々と伝えられてるんだなぁ〜妙に感心した事があります。
何事にも柔軟な名古屋の文化は大好きです。
日本の宗教は仏教が伝来した頃から「神仏習合」(または神仏混淆)でした。
江戸時代まではお寺も神社も一緒くたなのが当たり前でした。それが明治政府の『神仏分離令』により無理やり分けさせられました。
この時、廃仏毀釈が起こり、仏教関係の貴重な文化財がたくさん破壊されましたが、今でも神田明神などその名残はあちこちにあります。(明神は元々は仏教語)
日光東照宮は祭神が「東照大権現」、「権現」と言うのは仮に現れるの意味(明神は現実に現れる)で、本来は仏様だが仮に神様の姿でこの世に現れるという、神仏習合思想からきているわけです。
日光という場所も風水や山岳信仰などいろいろな理由があって決められたらしいです。