ラリー車帰国

12時30分から日枝神社の隣のホテルでベントレーのイベントがあるため11時過ぎに家を出る。ランチは1928年のル・マンで優勝した時の祝賀会のメニューだという。サボイホテルのレストラン(サボイ・グリル)で行われたというので、イギリスに戻ってからベントレーの関係者や顧客を呼んだのだろう。

ちなみに今は世界中にサボイホテルがあるけれど、ストランド通りのサボイは『The』をアタマに付けます。メニューは骨付きラム肉のローストと、チキンのキャセロール。イギリス人の伝統的なディナーって案外少量。おそらく1928年もこんな感じの盛りつけだったんだろうな、と感慨深い。文化です。

日本も100年くらいまえのレシピでお祝いの料理なんぞ作ってみたら面白いと思うのに。とりあえずうなぎ屋はタレを含め1925年の創業時と同じ素材しか使っていない。うなぎの味は変わってないだろうから、おそらく同じような味なんだろう。寿司は冷蔵庫や運送方法の刷新でずいぶん変わったと思います。

夕方、タイにラリーカーを運んで頂いた新井さんから連絡入り、通関手続きが終了したとのこと。今回もコンテナ開けろと言われるかと覚悟してたのだけれど(前回より大きい40フィートコンテナなので税関検査場まで運ぶのにお金掛かる)、輸入禁制品を持ち込むクソ野郎という嫌疑を掛けられなかったようだ。

前回は検査の際「私が麻薬やピストルを持ち込むクソ野郎だという嫌疑」という掛けられたということだろうから(それ以外はコンテナ開ける意味もなし。しかも1日5個くらいしか開けないらしい)、税関職員の身体検査をするまでコンテナを開けさせなかった。隠して持ち込まれ「コレハナンダ!」とやられたら困りますから。

さらに「やるなら車体もバラして嫌疑を徹底的に晴らして欲しい!」と主張。スッタモンダの騒動の末、黄昏が禁制品を持ち込んだとチクッたことが判明。そういえば入港日を日記で書いたワな。税務署もそうだけれど、オタンコ野郎のチクりを1度は真に受けるようだ。状況を理解した時の役所の反応は早い。

ただし企業でも役所でも黄昏のチクリは1度しか反応しない。だから新しい企業や役所と関わり合うときは、黄昏が何かチクるだろうと準備してます。逆に1度反応したら先方も理解してくれるので、いろんな意味でスムース。以後、楽になる。これが黄昏野郎の唯一の効能かもしれません。

前回の通関日の日記

実際、私のような仕事で脱法行為をしたら人生一生に棒に振る。加えてカルネで輸出したため、前回も壊れて破片になった部品まで持って帰ってきた。今回はバラバラになったバンパーや、ぶっちぎれたアーム類なんか入ってます。まぁ派手に走ったので、今回持って帰ってくる部品は半分が「ゴミ」です。タイヤもキッチリ使った。

クルマは1台がリアに大きなダメージを受け、1台は左側の窓ガラス1枚も無し。とうてい公道を走れる体じゃないため、積車を頼んで小澤さんのガレージまで運ぶことに。2台とも大修理が必要ですね。タイヘンだ。明日タイヤとバンパー引き取りのため港まで行くので、改めて写真を撮ってきます。

夜はジャガーとランドローバーのイベントだったのだけれど、タイで美味しいトコロを全て持って行った喜多見さん御一行が中野に来るというので欠席させて頂く。どうやら喜多見さんはラリーのスイッチが入っちゃったらしい。来年から本格的に活動を始めるようだ。もちろんオリジナルのショックアブソーバーも作る気満々!

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2 Responses to “ラリー車帰国”

  1. アミーゴ5号 より:

    チクリやたれこみは、世の常とはいえ・・・ひどい輩がいるものです。
    今回、ブログで配送模様を詳しく掲載しなかったのは、リスクを回避するためだったのですね。
    多くの人が応援しているのに〜。

  2. applefanjp より:

    江戸時代のレシピでおもてなしって
    ナイスだと思います!
    アイアン◯ェフもマネするかな?
    伝統の美登里の味。
    守りたいですね。
    黄昏野郎さんたちは凄いなあ。
    その情報網!
    その迅速さ!
    って、感心なんかしたら、師匠にカツ!って
    叱られますな。
    しかし、
    もっと違う方向に使ってくれるといいのに!

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