隆盛を誇ったレガシィ、日本で終売になるほど低迷してしまったのは5代目の”転進”にある
1980年代に存続の危機を迎えていたスバルを救ったのは荒澤さん、桂田さん、五味さん、辰己さんといった「スバルに新しい風を吹かせたい」と考えたサムライ達が開発したレガシィである。初代からクルマ好きの気持ちを掴み、2代目のマイナーチェンジで280馬力モデルを出すや爆発的にヒット! 月に500台くらいしか売れないと思っていたビルシュタイン採用モデルは7000台以上売れた。
3代目は重くなってしまったものの、2代目のイキオイが止まらず好調。ドイツ車のクオリティを目指した4代目モデルについちゃ今見ても、今乗っても「いいクルマですね!」と思う。そんなレガシィが5代目でアメリカ向けのクルマになってしまった。エクステリアは薄味。インテリアなど一瞬で「コストダウンしましたね」。4代目モデルまで全て乗ってきた私も「乗りたいと思えぬ」。
実際、がっくり売れ行きを落としたが、ボルボがこじ開けてくれた自動ブレーキを日本車で最初に採用したため救われた。ボルボのごり押しなければ日本に於けるスバルのプレゼンスは全く違っていたと思う。同時にアメリカを向いて作った5代目は大ヒット! スバル大躍進のキッカケになる。アメリカ市場、アメリカ以外を捨てたクルマを作らないと成功しないのだった。
といった意味では5代目レガシィって評価が分かれる。ビジネス的に成功。クルマ文化的にはスバルの方向性を変えてしまったという意味で微妙です。スバルも解っており、日本や欧州市場向けにレヴォーグを出したものの、あまりにステーションワゴンじゃなかった。1990年代のスバルで数少ない失敗作だったインプレッサワゴンの後継モデルにしか見えなかったですから。
2014年くらいまでスバルの国内販売台数は軽自動車を除くと12万台程度。1996年にはレガシィだけで9万台! それが2017年から落ち始め、2023年に9万台という状況。欧州や大洋州でも台数を落とす。日本はワゴンとセダンを絶版にし、アウトバックだけ残した。そのアウトバックも売れ行きはジワジワ落ちてしまい終売ということになる。クルマ好きからすれば、いろんな意味で感慨深い。
昨年、アウトバックで福井県までロングランしたけれど、4代目レガシィまでのDNAをしっかり持っている良いクルマでした。そういった意味ではレヴォーグ・レイバックも4代目レガシィのDNAを持つ良いクルマながら、残念ながら魅力を訴求出来ていないように思う。クルマ好きはスバルを見なくなってしまった、と言い換えたら解りやすい。これからのスバルはどこに行くのでしょう?
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