日産とマツダを見ていると多くの市民を犠牲にした第二次世界大戦時の大本営と全く同じだったりする

今日は終戦の日なのでクルマとあまり関係ない内容です。義務教育を終了している日本人なら誰でも教えられた通り、我が国は無条件降伏というカタチで戦争を終えた。領土についても無条件。戦後、アメリカが代表になって統治をした。1952年まで日本で作られ輸出された製品には「オキュパイド・ジャパン」(占領下の日本)と明記されている。アメリカが日本の領土を決める立場です。

実際、奄美大島が日本に返還されたのは1953年12月。小笠原が1968年6月。沖縄1972年5月といった具合。アメリカは占領した分を全て返却してくれたものの『日米地位協定』(君たちの憲法よりアメリカ占領軍の方が有利だよ、という内容)を結ばされた。アメリカ軍は日本憲法より上に位置する。したがって米軍基地はもちろん、米軍機が墜落したら日本はタッチ出来ない。

北方領土は奄美や沖縄と同じく日本の領土だったけれど、ロシアが返却してくれないのでいかんともしがたい。尖閣も同じ。アメリカが同じく戦勝国側である中国と「日本のモノ」と決めてくれなければ不安定のまんま。竹島はさらに複雑である。日本占領下だった時は当然ながら領土問題なし。戦後、どちらに属するかは日本を占領したアメリカが決めるべきものだったが、明確にしてない。

なんでこんな状況になったかといえば、文頭に戻って無条件降伏したからだ。戦争を早く終わらせるタイミングはいくつかあった。一番妥当だったのは、ドイツが降伏した1945年5月7日である。同時に降伏していれば沖縄戦も市民を巻き込む悲惨な戦いの前に終わっていらし。広島と長崎の原爆投下だって避けられた。ちなみにドイツが降伏した時点で日本に戦うチカラは残っておらず。

軍は「一億玉砕」とホンキで考えていたのだからいかんともしがたい。ごく一部の権力者のため、たくさんの命が失われた。日々傾いていく日産やマツダを見ていると、当時の日本とイメージが重なる。一部の経営陣の間違った方針を否定することが出来なかったワケです。日本が日産やマツダのようになったら、またぞろ戦争をする可能性がある。だからこそ1年に1度は戦争を考えたい。

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