「メーカーの人の批判をするけれど厳しい通告を受けたりしないのか?」と、よく聞かれます

いろんな人から「個人名を出してメーカーの人を批判しているけれど大丈夫なのか?」と聞かれる。なるほどやっちゃイケナイことのようにも思えます。されど今のところメーカーから一度も厳しい通告は受けていない。なぜか? その前に「そもそも何で人の名前を出すのか」という点だけれど、これは歴史&我が国に対する関心を大きくしてくれた司馬遼太郎さんの影響かと。

教科書に書いてある歴史を見ても全く面白くない。そこには結果しか書いておらず「どんな流れがあったのか?」とか「誰が悪かったのか」や「誰が素晴らしい仕事をしたのか」など皆無。教科書だから責任を取りたくないということなんだと思う。一方、司馬遼太郎さんの小説を読むと(ノンフィクションに限りなく近い)、出来事のバックボーンが明確に浮かび上がる。

「司馬史観」と呼ばれ、研究課題になるほど。正しいかどうかは人によって評価分かれるけれど、坂本龍馬の人気は司馬遼太郎さんが作ったと言われる。日本国からすれば隠しておきたい人物だったためだ。掘り起こさなければ今でも埋もれていたろう。そして司馬史観は過去完了形のため、関係者は全て鬼籍に入ってます。検証出来ない。とはいえ支持者が多いため状況的に正しいと考えます。

司馬遼太郎さんの作品を読むと前向きの気持ちになるし、日本が好きになるし、明日を切り開いて行くことの大切さを学ぶ。私がよく書く「人の足を引っ張るだけのツマラン高学歴者」は作品に山ほど出てくる。神様のように祀られていた乃木将軍ながら、司馬史観で愚将とされ、以後、研究者が多数出てきた。新撰組もカッコイイ思われてきたけれど客観的に見ると人殺し集団です。

自動車メーカーの内側で起きていることは現在進行形である。個人名を出す時は様々な裏打ちを取ります。直接やりとりをしているような人から情報を貰う。もちろん1人や2人じゃありません。最低10人。ひつこく名前を出すときは数倍の人から情報を得る。名前を出す人より上位の役職の人は必ず2~3人含まれるし、同クラスの人や直下の人も(2ランク離れると参考程度です)多数。

もっといえば「××が会社をダメにしようとしている。何とかして欲しい」みたいなメールも頂く。やりとりしてみると、なるほど酷いと思うこと多い。そんなこんなで「本当に問題となっている人」だと私は考えている。だから今のところスルーなんだろう。逆にそのメーカーの将来にとって大切な人を批判してしまったら、間違いなく激しいバッシングを受けるに違いない。

司馬遼太郎さんは日本好きが行間にあふれ出ている。私もクルマ好きという熱は負けていない。クルマを作っているのはメーカーなので、それも大好きだ。こらもう日本のメーカーに限らないです。大好きなメーカーの足を引っ張る輩が内部にいて社内でも大きな不満の材料になっているなら、それは広く認知されるべきだと思う。いじめっ子は名前を出さないといじめが無くならないのと同じ。

とはいえ名前を出して批判するのは推奨しない。たいていチカラ持っている人なので、遠回しにイヤがらせをされます。ちゃんとしたメディアは確証(エビデンスってヤツです)ないため取り上げない。私みたいに将来の無いジジイが、たいした影響力を持たない個人ブログに書いているだけ。一番喜んでくれるのは社内で愚行を見て憤りを感じている皆さんです(笑)。

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