昭和15年時点で日本の戦闘機は世界一の性能を持っていた。2010年のリチウムイオン電池と重なる

6日の夜にアップした車屋四六兄の零戦の話を電気自動車と重ねて評価する人がいます。御存知の通り昭和一桁の時代まで日本の航空機技術は欧米の先達の技術をそのまんま使っていた。昭和9年正式採用の95式艦上戦闘機は複葉機。最高速も350km/h程度。しかし昭和10年に正式採用になった堀越二郎設計の96式艦上戦闘機で世界に追いつく。この機体、引込脚こそ採用していなかったものの、全金属製で沈頭鋲を使い空気抵抗を追求。フラップも装備した。

零戦、2017年に日本でも飛びましたね

そして昭和15年に零戦が登場する。車屋四六兄も書いている通り、当時世界で最も性能が高い機体だったと思う。私は昭和16年に運用開始された隼も零戦と同等の性能を持ち、世界のレベルを凌いでいたと考えます。ちなみにエンジン独自開発技術は持っておらず、零戦と隼のエンジン(海軍は栄というエンジン名。陸軍は発動機を意味するハの25という名称ながら事実上同じエンジン)、中島飛行機がライセンス生産していたプラット&ホイットニーのパクりです。

もう少し書くと、中島飛行機の中川さん(やがてプリンス自動車で桜井真一郎さんの上司になる)が星形空冷14気筒の『栄』をベースに星形空冷18気筒の2000馬力級『誉』を開発したが、すでに軸受けを潤滑する高性能オイルも高圧縮比に耐えるハイオクも日本に無く、全く性能を発揮出来なかった。戦後アメリカに捕獲された誉を搭載した中島飛行機の『疾風』が高性能オイルとハイオクを入れたらP-51と同等以上の687km/hも出たというのは有名な話です。

Bf-109も最終的には2000馬力エンジンを搭載した

電気自動車でした。2008年に三菱自動車がi-MiEVを試験発売し、2010年の日産リーフの時点で日本のリチウムイオン電池の技術は世界を圧倒していた! 零戦の登場時よりもっと強かったと思う。なんせ世界中に実用化しているメーカーはありませんでしたから。そしてゆっくりながら進化を続けていた。ただその速度は遅すぎた。2017年にデビューしたリーフ現行型は、初代で24kWh分だった電池スペースに40kWhを搭載したことのみ。

零戦は昭和15年時点で940馬力くらいのエンジンだった。続々登場してくるライバルに対抗すべく3年後の昭和18年時点で1130馬力までパワーアップさせていたものの、同世代のパッカード製エンジンを積むマスタングP-51は1300馬力を軽く突破。昭和18年には2000馬力エンジン搭載のF6Fヘルキャットも登場。こうなると勝負にならない。しかも昭和20年の敗戦に近づくと、潤滑油もガソリンも一段と品質が悪化し性能は落ちる一方。

それでも昭和20年初まではターボ過給エンジンと与圧キャビンを持ち1万mを飛んでくるB-29の迎撃もかろうじて出来たとされるが、話を聞く限り厳しかった。というのも偏西風が300km/h以上で吹いており、20分以上掛けて1万1千mまで上がると良質の過給器無いためパワーも落ち、西方向に頭を向けて浮かんでいるだけ。富士山を目指して飛んでくるB-29は小田原上空で右に旋回するや偏西風に乗り対地速度800km/hくらいで飛んでくる。

そのB-29を1万1千mから攻撃するのだった。すると1掃射しただけで8000mくらいまで高度が下がり、二度とB-29に追いつかなかったという。首都防衛軍は相当な被害を与えたとされるものの、物量で全くかなわず。初代カローラのチーフエンジニアだった長谷川龍雄さんは立川飛行機時代にB-29を迎撃するための高空戦闘機『キ-94』(ターボ過給。与圧キャビン。大口径機関砲を装備)を開発していたけれど、試験飛行も間に合わなかった。

今の電気自動車を見ていると当時の日本と重なる気がします。車体技術はある。されどパワーユニットの肝となる電池や物量が全く追いつかない。伝家の宝刀扱いになっている全固体電池も、大戦末期の震電やキ-94、橘花のようなもの。すでに先行されているし、投入したって量販規模が小さく価格で勝負出来ないだろう。勝つ手はあるのか? 電池産業は政府によって事実上の鎖国状態にされているのが厳しい。海外に出て行くしかない?

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6 Responses to “昭和15年時点で日本の戦闘機は世界一の性能を持っていた。2010年のリチウムイオン電池と重なる”

  1. 本城 信 より:

    栄/ハ エンジンがP&Wのパクリだったことは知りませんでした。

    零戦について後いえることは運動性能を担保するため機体を軽くすることに目が行き、肝心の乗員の安全性に対する配慮が足りなかったことでしょうか(背面に装甲板がついていない、この点は紫電でも改善されていなかった)。

    • やまさん より:

      零戦にパイロットを守る防弾板がないのは海軍が出した仕様に指示が無かったからでしょう。隼には防弾板があったけど陸軍が出した仕様には防弾板があったんでしょう。軽量化は海軍の要求を満たすにはそう設計せざるを得なかったから。仕様と設計をごっちゃにしないで。それと、世界最高と言い切るのはあまりに単純すぎる見方だと思う。

  2. 二級人 より:

    ゼロ戦が強かったのは軽量で運動性能が良かったからですね。
    日本車も小形軽量には一日の長があります。他と同じことをやっていてもだめ。大型車好みのアメリカや中国に対して、インド、ブラジル、ヨーロッパなど小型車好みの国も多い。
    ここはEV小型車で勝負を賭けたらどうだろう。パナソニックには吸収解体した三洋電機の亡霊が見えます。ここは諦めてしばらくは中国由来のものを買うしかないのでは。
    早急に充電インフラを整備してもらって、スイフトEV、ヤリスEVなど出せば売れると思うのですが。

  3. この車 無駄なアクセル 踏みません より:

    世界に誇る技術を持っていても、周りが見えずに自惚れてるうちに遅れていくってことですね。半導体も省エネ・環境技術もそうでしたが、日本とはそういう国なのでしょうかね。そうではないと、まだ信じてはいるのですが、きちんとその原因究明は必要でしょうね。
    ところで、私の勝手な想像ですが、トヨタは三菱や日産が電気自動車を出したときHVを選択したけど、そのときトヨタの技術力があれば電気自動車なんてちょちょいのちょいさって考えていたんじゃないかなあ。そう考えないと、bz4xをまるで初代リーフが浴びた悪評そのままで出したりしないと思うのです。この10年ちょい、きちんとEVの進歩やEVユーザーの意見を見ていなかったということ。全固体電池が出来たらってのは言い訳です。
    あのときトヨタもEVに参入し、他社と技術競争をしていれば、日本のEV技術・電池技術はまだまだ世界的にもいけたと思うんだけどね。つい最近になってトヨタは全方位って言いだしてるけど、今更遅い遅い。
    シーガルという小型EVを見たとき、あぁ~先越されたって思いました。充実した充電インフラの整備と、ほどほどのバッテリー容量の小型EV・軽EVの普及こそが日本の進む方向って思ってたのですが…。

  4. しんぶんし より:

    日本は戦争に負けた時、物資は失ったが大和魂的な精神が残っていたと思う。彼らのお陰で日本は復興し、アメリカを脅かす程の経済大国になった。
     そして今、ふっかけられた経済戦争。自動車は日本VS世界連合に勝てるのだろうか?この戦争に負けた時、復興する精神は残っているのだろうか?

  5. トヨタ車ユーザー より:

    中国では鉄電池の次を探してもう「できたできた」とてんやわんやです。材質ではナトリウムイオン電池、形状なら半固体電池と、メーカーがそれぞれの材料・形まで探して得意の戦略を練っている状態です。
    最近精神論は避けられていますが、やっぱり国・生活を豊かにしたいというハングリーな精神は強いものがありますね。

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