おこちゃま
一昨日の夜、ハローウッズの崎野さんと最近の子供について話をした。日頃ワタシが考えていることなど問うてみたら、やはり同じ見解だという。子供は親(大人)を見て育つ。周囲にキチンとした大人がいない環境で育った子供って、ある意味アンラッキーだと思う。その分のツケを全て社会に出てから背負わないとならない。
よく「団塊の世代」と「団塊ジュニア」について書く。一昨日の夜、団塊の世代の方とこの点について状況を聞いてみた。曰く「会社で何かやれというと、何でやらなくちゃならないのかという反発を受ける。そんな時はとにかくやれ、と怒る」。同じことを御子息に言ってますか? と聞いたら「う〜ん。違うね〜」だって。
家庭や学校では「なぜ?」と聞いたら答えてくれた。けれど社会に出ると「とにかくやれ!」と言われる。このギャップで悩んじゃうワケ。団塊ジュニアが若い頃‥‥10年くらい前だろうか。「なぜ人を殺しちゃいけないのか?」というロンギありました。理由を付けること自体、オロカシイ。そんな質問したら殴るべき。
これを読んで反発するのは団塊&団塊ジュニア的思想です。とにかく団塊ジュニアはちょっと気に入らないと不満を言う。反発する。「どうして? なんで?」の質問攻撃は、本来なら小学校で卒業してなくちゃならん「かまって君」だからだ。それを大人まで引っ張っちゃってる人って不幸。意見が違うヤツは無視すりゃいい。
もちろん団塊ジュニアの世代だけでなく、様々な年齢層に「かまって君」が存在する。こういった人は精神的な大人になれていないのだ。今年の新卒者の就職活動を聞くと極めて厳しいという。甘やかされて育った世代は、いともたやすく落とされると、自分の存在を否定された気分になることだろう。
ここでグレちゃアカンです。そもそもアンテナの感度が低いんだと思う。女の子を口説くのと同じ。片っ端から声を掛けてフラれ続けるなんてオタンコ。落ちそうな女の子を狙ったり、落ちるような戦略を立てなくちゃダメ。誰でもカマッテくれるモンだ、と思っていること自体、大きな間違えだということを学ばなくちゃなりません。
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ギクリ・・・
うちの子は下から、
・かまってちゃん
・かまってくん
・おたっくん
です。
何しろ当の父親が「かまってくん&おたっくん」だから、どうにもならんです。m(_ _)m
強いて勉めるのが「勉強」、問うて学ぶのが「学問」と言いますが、自分を含めて、かまってくんやおたっくんが後者に脱皮するにはほど遠いです。
(T_T)
体は大人だけど精神的には幼稚園児並…..これは1980年代以来言われている「我が国の成人」の実態だ。
これって「ボディサイズはクラウン/スカイラインかそれ以上+エンジンは軽四輪」と同じ原理じゃないかな。
上司の顔が気に入らないと言って拗ねてすぐに会社をやめてしまう―それもあれも「大人として成立しない大人」=「軽四輪や800ccのエンジンでは1.6-1.7トンのフルサイズボディ(中大型車ボディ)は動かない」の論理と似て見えるけど如何だろうか。
団塊の世代とジュニア世代の狭間の自分。
家でも厳しいって子供たち。カミさんも厳しすぎるって。
亡くなったオヤジも爺さんも厳しかった!
師匠、そう見えないでしょ?
仕事で悔しくても、グッと我慢して
それでも悔しかったら、昼休みに大空見上げながら散歩。
えっ、恋愛?
困ったな〜。これは苦手なんですよね。
今でもふっと気がつく時があって
そうかあ、あの時、こうすりゃ良かったかあ!
って、これはカミさんには内緒です。笑
団塊ジュニア、幅広いですよ。「カマッテ君」だけでなく「カマッテやる君」と「カマワナイデ君」。
三者に共通するのは自我が強いこと。
この人たちを直接マネージメントする世代の力量不足を感じます。
いつも楽しく読ませていただいてます。
自分43歳、団塊ジュニアの最初か1〜2年上か。
小学校は学年毎に7組、中学・高校は10組までありました。
実は私世代、バブル経験組とそうで無い組がいて。
高卒で働いた人はバブル真っ只中。
人手不足が激しく、入社直後から何でも任された。
そこで失敗繰り返しながら上手いこと物事を覚え
今じゃしっかり地に足をつけて生きている(全員じゃないけど)。
大卒はバブル崩壊後の就職。
人手余りで評価は細かく、失敗は許されない、
チャレンジのチャンスも少なく、そのまま
好景気など経験せずに今に至る。
仕切りは相変わらずの団塊世代。
「この国はどうなっちゃうんだろう。政治はひどいね」
毎回飲み屋で聞かされますが、
まるで他人事みたいにおっしゃられるので笑っちゃう。
「おいおい、あんたらがこの仕組みを作ったんだ。
後始末なのか、いっそ『この先は任せたよ』でもいいけど、早く引っ込んでくれないと次が始まらないよ」
と心で叫ぶ(苦笑)
よく言われること。
「何もないところから開墾立ち上げたんだ。大変だったんだぞ!」
ならばお返しします。
「適当勝手に区画されたものをきちんと並べ直すのだって、相当に大変ですよ!」
これも心で叫ぶ(再苦笑)
それでも、それでも。
グレちゃアカンですね。
へこたれちゃアカン。
順番なら団塊世代がお先に居なくなるはず。
もしかしたらあと数年・・?
命を大切にして、その時に向けて英気を蓄えたいですね。
国沢さんのお言葉を叱咤激励と思って。
こんばんは。
私は現在20代後半のフリーター低所得貧乏の若造であります。
少し前から、軽トラック(ミニキャブトラック4WD、H13年式5MT車)に乗っています。
以前乗っていた32スカイラインでした。が、機関トラブル続き、ガソリン維持費、税金割り増し、駐車場費等で維持できなくなったのもありまして手放しました。
しかし、何の縁か、知り合いから軽トラで良ければ使わんのがあるので譲るとの事で乗させて頂く運びになりました。
まさか軽トラかよ!と自分でも乗らず嫌いしていましたが、乗ってみれば都で、もう塩ビ椅子に汚れも対して気にしない、荷台にもドカドカ気楽に詰み込めるしで、同士のフリーター貧乏友人の引越しにも役立ち大活躍!
エアコンレスでもハードタイプ保冷剤や工夫次第で夏場もタイして気になりません。
トリム加工のない素の車を弄れる自由度に楽しくなり創作意識は増して今や欠かせない愛車です。ゴム縄の結び方も初めて知り勉強になりました。
団塊世代の人でも、軽トラなんて乗ってるの?と言う人もいれば、軽トラにエアコンなんて付いてるがあるのか!?と言う人もいて、世代間や色々な声に価値観の違いを感じて反応が面白く思います。
トヨタがコソコソとハイゼットを可愛い名前にして売り始めたのも何か別の意図がありそうで興味深いです。
そして、軽トラックの開放感に感動しました。窓を開けて農村部を走れば懐かしい匂いがするし、四季の匂いが走りながら楽しめて。
自分は親が団塊の世代です。生活習慣病になり、これからは介助も必要になるでしょう。軽トラックライフも長くは出来ないかもしれないけど、MITSUBISIは後付で介助リフトシートも付けられると言うし、どうなるかは分りませんが、今のクルマには長く乗りたいです。
今社会問題化している団塊ジュニアの圧倒的数のなフリーター労働者や100万人超の引きこもりの人たち。
家で鬱々する人は、ランニングコスト安の軽の箱バンやら購入して外に出て行けば外で引きこもれますよ(文章的におかしいですが…)
何かトヨタの“免許を取ろう”CFはこういった呼びかけに見えてしまうこともあり仕方ありません。
プライベートとして乗るには、特装車のキャビン延長スーパーキャブ車やダブルキャブ車は値が張り買えなかろうが、カタログ見ているだけで仕事の意欲は増し夢中になれます。27センチの隙間に夢見てます(笑)
余談ですが、母子密着、父親の威厳衰退などの問題に関しては、精神科医の「町沢静夫」氏の著書を自分は参考にしています。
私は昭和34年生まれの53歳。
団塊世代とジュニアの中間でしょうか。
他界したオヤジは予科練で軍事教育を受けておりムチャクチャ厳しく、往復ビンタが普通でした。
熱があって学校を休んでいたら、いきなり布団をめくり往復ビンタ、学校へ行け。で終わり。
今なら虐待と言われるかも知れませんが良い思い出です。
そんな小生も二十歳の頃は反発して家を飛び出しバイトを転々。
ふと帰ると、あんなに元気だったオヤジの体力減にアゼンとして家業(八百屋)の跡継ぎを決意。
大店舗法の緩和により近所に大型スーパー乱立で10年ほどで廃業するハメに。
運送屋に勤めたらバブル崩壊で倒産。
別の運送屋に勤めたら、給料払えるうちに辞めてくれ、と言われる始末。
でも厳しいオヤジに育てられたせいか、メゲなかった。
荷物を運んでダメなら、人を運べばイイんだ、と大型2種をとり、37歳で路線バスの運ちゃんに。
ここ数年の多少の収入減はあるものの、マンションまで購入できて、人並みには生きていけてます。
子供の頃、親が優しくて、うらやましいと感じてた近所の同世代9人は全員リストラされ、定職なし。
50過ぎのフリーターなら、まだマシ。
引きこもりまで、います。
80前後の親が他界したら、年金も0。
それを考えず現実から逃避してるみたいです。
小生の親は厳しくて良かった、と、この歳になり、つくづく実感しています。
小生も今のヴィッツ1300U-L/102375km+レクサスIS350のペアを数年後に処分して軽トラにする可能性さえ全くゼロとは言い切れないと踏んでおります。
なんたって税金が現状のメインの足ヴィッツの1/10!!とまさに天国なのだから。
さすがに軽トラは我慢を強いられて、相応のストイシズムを要するとあれば、現実的には軽ライトバンか―イースユニットを搭載したダイハツミラバンの次期モデルなど、考えただけでもゾクゾクしよう。
日本マーケット全体のメンタリティとして、また小生自身の自己反省として、バブル期を中心にその崩壊初期まで「排気量2リッター以内」それ自体が「大衆車」「貧乏臭さ」「お手軽グルマ」ひいては「女子供」を象徴する記号と考えられており、そうしたクラスの4気筒車に乗るのに何かしらの負い目を感じる傾向にあったのは否めない。
今、世界を見渡せばそんな国がある―ドバイやカタールを筆頭とした中東湾岸諸国だ。彼の地では20歳以下の青少年(ボウヤ、と読もう!)が親から買ってもらったメルセデスやらBMWを乗り回し、そのくせロクに勉強せず、収入も稼がずニートと化している現象があることに国沢さんはお気づきだろうか。これは由々しき問題で、少し前に南太平洋のナウルでも一時期高級車が溢れていたものが燐鉱石の枯渇とともに国家が破綻し、各国の援助を受けているという現状があるではないか。
ニートが社会問題としてクローズアップされて久しい我が国も、これらは決して対岸の火事ではないのと同時に、「ゆとり教育」と「バブル」がもたらした負の遺産がどれだけ根深いものであるか意識し、次世代の政策決定を行う正念場に来ていることは厳然たる事実だろう。