制裁
本来、警察や法律は国民同士の制裁を防ぐために存在する。殴られたからといって殴り返すとか、殴られた側が自らの手を汚したくないからと殴り屋に頼んで殴り返すようなことなど近代社会と言えない。逆に考えれば、警察や法律が無い国だと国民同士で制裁をするしか手は無くなってしまう。それが我が国です。
滋賀県で傷害や恐喝を行った(もはや”いじめ”というレベルじゃない)生徒や、その責任を負わなければならない保護者を警察や法律は野放しにした。結果、国民同士の制裁が始まることになった。この最悪の状況を警察や国家は「恥」だと思わないのだろうか? もはや近代国家として成り立っていない。
なぜどの事件でも担任が出てこないのだろうか? 責任としちゃ最も重い。校長だって知っていたことだろう。もちろん教育委員会の責任は大きい。訴えを無視した警察も同じ。こういった輩たちが国民からの制裁を受けるのは、今の警察や国家を見ていると当然だと思う。いろんば意味で末期的ですね。
キリギリスdeアリの精神は楽しみながら足元を守っていく、というもの。こういった争いに巻き込まれないよう自衛することも重要だ。自分のコドモが暴力や恐喝行為を受けていると思ったら(気にしない親はキリギリスdeアリの資格は無い)、羊のように諦めるのでなくキッチリ守るしかない。
ただ多少の”いじめ”は社会に出ても受ける。ここを100%公平に、なんて言い出すと原理主義のモンスターになってしまう。子供にとっても好ましくないです。社会に出て挫折するだけですからね。このあたりのサジ加減が出来る人のことを「大人」と呼ぶ。周囲で起こる全ての事象に対し敏感になりましょう。
オスプレイは性能を考えれば素晴らしい。東日本大震災の前に導入され、海兵隊が被災地の物資輸送に使ったら、良い面ばかりクローズアップされただろうに。ヘリコプターなど相手にしない機動力を持つ。尖閣で何かあったときも強力なアイテムになること間違いない。本来なら悪い話じゃないです。
ただ以前も書いた通りヘリコプターモードから飛行機モードへの変移に課題を抱えている。急な追い風など受けたときに最も早い推力の増加が可能な回転翼のピッチ変更を、現状ではパワー不足のため十分行えないという。陸上では変移飛行を行わないなど、運用上の制約が必要だと考えます。
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日本人の平均的な考えかた「平穏無事」をよしとするマネージメントを変えないと解決しない。まず、「異常」を報告して解決したものだけ昇給する。「平穏無事」だけ報告してノウノウとしてる者は減給する。
トヨタの看板方式は、「平穏無事」を是とする考え方。サプライチェーンマネージメントは、いちばん「異常」な箇所を集中的に補強する考え方。
後者のほうが疲れないし、即効性ある。事実、トヨタの看板方式は日本でしか根付かない。日本企業の海外拠点は、サプライチェーンマネージメントです。
学校も教育委員会も忙しいふりする管理やめるときです。
ヽ( )`ε´( )ノ
そうですね。
大人が大人に成り切れていない。
逃げてばかり。
教員の世界、教育委員会、視野が狭すぎ。
子供たちを子供扱いし過ぎ。
親たちに対しても
恥ずかしいくらい狭い視野で話をしても気づかない。
もっと社会にもまれて欲しい。
そのような教員に子供を預けたい。
(外を知っている教員は、それなりに出来る方です。)
うちのような田舎の学校で、下の娘がいじめに合って
いるよう。味方も多く居るようなので、本人はいじめ
とは思っていないから、事を荒立てるなと言われて
ますがちょっと注視してます。
やはり学校の教員が役に立たないようで、言っても
どうしようもないから、と…。
高校にあがるまで後半年ちょっと、頑張って欲しい。
担任の先生が出てこない。
これは、法律上、仕方がないと思います。
なぜか?
それは、市町村教育委員会が
「服務監督権」をもっているからです。
そこに責任が及んでいくのです。
国民の目が教育行政に向けられていること
それは、教育にとって良いことと思います。
私の娘もベトナム帰りの時、
日本語がしゃべれないと言われていました。
そうではなく、方言がわからなかったのですが。
何度も学校に出かけ、ある時は家庭訪問してもらい
健気にがんばっている娘
(学校に行きたくないと言ったことがない)
を支えてくださいとお願いしてきました。
以前も書きましたが、
いじめの問題は学校ばかりではなく
大人社会に原因の一つはあります。
もう一度、何がおかしいのか
みんなで議論しても良いのではと考えます。
国沢様 先日は大津の事件について見ず知らずの読者の突然の要望、大変失礼致しました。国沢様の本質を突いた発信がきっと被害者ご家族の今後(今回の件、世論の声が無ければ揉み消されていた)の後押しになると思ってのことでした。
大津の事件、被害に遭った男の子のご家族は何より家族を失った悲しみと、その事実を揉み消そうとする行政(学校、教育委員会、大津署)との闘い、二重の苦しみに今日まで遭われてこられたことと思います。行政との闘いについては、ここまで公になった以上不正は許されませんが。
加害者が寄って集ってひとりの人間を追い詰めた事も、行政組織が寄って集って被害者家族に対して行ってきた事も同じ事です。いくら給料を貰っているとはいえ、これだけ残酷な事件で被害者側の立場に立てる人間がたった一人もいなかった事自体、多くの当事者は恥ずべきですが、自身の保身で精一杯でなのでしょう。
昨晩、皇子山の近所に用事があり皇子山中学の前を通ったのですが、この場所でこんな残酷な事が起きていたのかと思うと、また被害者の男の子がどんな気持ちでこの場所に通っていたのかと思うと悲しい気持ちになりました。
そこから少し離れた市役所や大津署、そして加害者とされる少年宅の前も通りましたが、いつも通りの景色に見えました。この差は何なのかはわかりませんが。
被害者の無念が晴れることはありませんが、最低限、責任を捕るべき者が責任を捕るまで、勿論捕まったら終わりではありませんが見守り続けたいと思います。
(-_-X)
嫌です。“むら社会”。
日本人の根っからの性質なのでしょうかね。
勝手に“部落”を作って、自分たちよりも“下”が
いるから…と言う身勝手な政策。
自分たちとちょっと違うと排除しようとする…。
ちょっと過激な意見だが、第二次大戦で日本は占領
されずにここまで甘やかされて来てしまったので、
色々な意味での“血が混じる”良いチャンスを逃した
のかも知れません。