卑弥呼の時代?
薬局に貼ってある「足のつる人」を不思議だと思っていたのは私だけじゃなかったようだ。いろいろ情報入りました。さらにグーグルで検索してみたら、出てくる出てくる! 諸説紛々(黄砂原因説まで!)ながら、マグネシウムとカルシウムとビタミンが有効らしい。一週間前から飲んでおきましょう。
夕方のニュースを見ていたら、日中首脳会談が行われたという速報。大手メディアを見ていて強く感じるの「中国首脳に会ってもらう&もらった」というスタンス。というか報道関係者のアタマの中は完全に「中国が主で日本は東の島に住む未開人」という卑弥呼の時代のチカラ関係へ戻ってしまった感じ。
考えてみれば卑弥呼の国はひっで〜名前を付けられちゃったモンだ。例えば『倭奴国』(わのなのくに)ときた。中国の人に聞くと『倭』というのは基本的に良くない響きを持つという。「なんでも言うことを聞く」とか「従う」という意味。日本人のイメージする「和」のダークサイドを示す、と考えていい。
当時の日本には「国」という観念などない。「何という国か?」、と中国から来た人に「わのくに」と答えたんだろう。。ちなみに「わ」は「我」(われ)の古い言い方。「わ」という音に中国から来た人は「倭」をあてはめたワケ。ちなみに韓国では今でも自国を「ウリナラ」(我の国)と言う。
韓国に「ウリ党」というのがあるけれど、客観的に読むと「我の党」。韓国人にとっての「ウリナラ」って日本人のイメージする「自分の国」と相当ニュアンスは違う。太古の日本と同じで「ここはなんという国か?」と聞かれ「ウリナラだ」と答えるくらいの強さを持つ。ハナシがズレた。
『奴』についちゃ説明するまでもない。日本人だって悪い意味で使う。奴隷の構成文字だし(そもそも奴は奴隷階級を示した)、江戸時代の『奴』(やっこ)は武家の下働きの別称。三人称の「ヤツ」だって親しい間柄じゃなければ蔑視である。すなわち「なんでもいうことを聞く奴隷の国」という意味。昨今の我が国は文字通り『倭奴国』か。
最近の中国に対し強い不快感を示す日本人もいるけれど、とにかく斬っちまえ、という新撰組のような流れ。カッコよく見えるかもしれないが、何も残せない。本来なら幕末の日本のように前へ進まなくちゃならないけれど、最近の日本人は「小さな幸せがあればよい」と真剣に思っているから難しい。
小さな幸せは大きな安定から来る、ということを忘れてしまっている。ちなみに伝統的に外交を得意としない日本の安定は、経済力(国際競争力)によって持たらされてきた。最近しつこいくらい書いている自動車生産施設の海外移転問題や、新しい産業の育成についてのテーマは、小さい幸せを得るためです。
夕方からうなぎ屋に行くと、小さな幸せは待っていなかった。いやいや機嫌悪いの何の! 元来持つ性格の悪さが全て出てしまっている。猜疑心強く、ケチで短期。良いブブン出ているときは知的だしウィットも効いていて面白いのだけれど、今日は倭奴国のインゴーババアだぁね。
トシのせいかコントラストが強すぎ色の残像が残ってしまうようになったため、ブログ背景の色を変えてみました。いかがでしょうか?
<おすすめ記事>
以前にコントラストが強くて目に残るので変更をお願いした事がある者です。
今回の変更でやさしい感じになりましたね。
ただわがままを言わせて頂きますと、ちょっぴりまぶしいかも。(本当にわがままですみません)
国沢光宏TOPのほうも少々きつく感じることがあるので国沢さんもそう感じる事がありましたらリニューアルお願いします。
ラリーも期待していますので怪我に気をつけて完走してきて下さい。
国沢さん、こんばんは。
文字と背景のコントラストは私は前の方が読みやすいです、コントラストの少ないブログは読みにくく、松下さんのブログは背景が白く文字が薄く文字の大きさが小さいので読みづらいです。
国沢さんのブログの文字の大きさが私には読みやすいです(ひょっとしたら拡大をしていたかも?)。
追伸
アンチロックブレーキや姿勢制御、トラクションコントロールの装備された車でジムカーナ(もしくはダートトライアル)などをした場合、パイロン間隔25歩位(20歩?)のストレートなスラロームや、サイドブレーキを使用したフルターン(180度や360度)どんな動き方をするのでしょうか?。
公共放送の記者は、
YouTubeに流した人が逮捕されないと、ネタ的につまらないと申してました。
そういう問題か?
と、思いましたが。
マスコミそれも公共放送の記者でさえ、このレベル也。
せんごく38…
38は嘘の38とは読まず、アホの38が正しいそうです。中国的にはアホの38・嘘800らしいですね。
中年になると、涙もろくなっていけません。特に最近は「小さな幸せ」に弱く、テレビでもすぐうるうるしてしまいます〜。
一方で、美味し〜いホッコリ鰻を戴くのも、庶民にとっては小さな幸せです。
長い間叔母さんは、小さな幸せを、多くの人に分け与えてきたと思うのです。
お店には、何て言うのかな、清廉さこそ感じても、嫌らしさは全く感じませんでした。美味しく食べて欲しいという優しさと誠実さ、そしてそれを積み重ねてきた重みを感じます。
クルマと一緒で、お店や会社も、責任者の気持ちや心が表れてきますよね。
部外者の感覚的な戯れ言で恐縮ですが、叔母さんのお心は、自分自身の身の上よりも、小さな幸せを与え続けてきたお店の行く末を案じていると、感じています。