右側通行と左側通行の理由は?(17日)

17日の夜18時30分からTBSで放送された『この差って何ですか?』という番組の最後の質問で「左側通行の国と右側通行の国の差」というテーマがあり、怪説した。時間も限られているため「明治維新で官軍は親イギリス。幕軍親フランス。勝った官軍がイギリスの文化/文明を重用したため左側通行になった」という内容。こらもう概要でございます。も少し詳しく。

そもそも右側通行か左側通行かは、高速移動手段の登場まで関係無かった。日本中、どこの人並みも自然発生した時はマチマチです。されど陸上だと馬車。海上では帆船が出来た時から、スレ違う時の約束を決めなければならない状況となっていく。一番古い「証拠」とされているのは、ローマ帝国時代に出された「左側を走るべし!」というお触れ。ローマ時代から馬車ありました。

「ローマへ続く道」は基本的に直線。ここを馬車ですっ飛ばす。この時点で欧州の基本は長い間、左側通行になる。その後、右側通行を強要したのはナポレオンだ。右側通行のお触れを出してます。おそらく戦うのに便利だったと思う。右側通行してればナポレオンのお触れを守る味方。左側通行してる連中は全て敵。ただドーバー海峡を渡れずに負けた。

以後、基本はイギリスの植民地=左側通行。フランスやスペインに代表される大陸側の植民地が右側通行になる。日本は、と言えば江戸時代まで明確な決まり無かった。よく「刀の鞘があたらないように左側通行」と言われているけれど、江戸時代の絵を見ると半々。ただ狭いところでは左に避けたかもしれません。参勤交代で行き会った時も決まり無し。

交渉役が先行し「行き会いになったら格下の方が待つ」という約束だったようだ。ちなみに海上交通は早い時期から国際ルールを取り入れていたと思われる。御三家である紀州藩のフネと海援隊が運行していたいろは丸の衝突沈没事故で坂本龍馬は日本初の海難裁判起こし、国際規約を持ち出し勝つ。海上についちゃこのあたりから右側通行だったらしい。

脱線ついでに鉄道はイギリスの軽便鉄道用を導入したため、左側通行です。また、ヨーロッパの多くの国がイギリスから鉄道車両を購入している。いくつかの国を除きヨーロッパの鉄道は左側通行だ。まぁ様々な理由あって右と左が混在してるワケ。明治政府が「決めよう」となった時、官軍の援助を行ったイギリス式を導入したのは当然の流れだったと思う。

このテーマ、私がベストカーガイド編集部員だった時から資料を集めました。徹底的にやりましたね。興味深かったのが伊勢神宮で、橋の真ん中は歩けない。神様の通り道ですから。必然的に右か左かになるのだけれど、外宮は左側通行。内宮が右側通行。諸説あるも、決定打無し。確実なのは「お触れや法律にしない限り徹底しない」ということです。

ハワイアン航空のA330が羽田空港でパンクした件、なぜかメディアは原因を追及しない。ああいったケースでパンクする原因の95%が「燃料を捨てなかった」ことに起因する。燃料満載状態で着陸すると、パンクの可能性高いのだった。もし燃料を捨ててなかった重大なミスである。キッチリ追求しなければならない。他の理由だけれど、ほぼ考えられないです。

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