思い返せばスバルでたくさんの競技に出て楽しみました! 本当にありがとう!

スバルが楽しいクルマを作れなくなる--と書いていたら何だか寂しくなってしまった。1989年に初代レガシィが出るまで、スバルの技術って大きく遅れを取ってました。レオーネまで”ド”を付けたくなるほどのアンダーだったし、ターボエンジンも強烈なターボラグ&トルク細い。やっとABSを出したと思ったらX配管のセレクトローだったため、コーナーで抜けまくる。

当時「このままじゃダメだ!」と危機感持っていたのが、副社長でスバルのキャリアを卒業した荒沢さんやSTI社長になる桂田さん等、課長級のサムライ達でした。レガシィを開発しイッキにライバルと並ぶ。続くインプレッサあたりから、山口さんという宣伝担当とSTIを立ち上げた久世さんがスバルの速さに気付き、数年間で今のブランドイメージを作り上げてしまう!

人生初ラリーで少し速かったのが悪かった?

やがてレガシィは売れまくり、インプレッサも世界TOPのドライビングプレジャーを持つクルマになる。私が始めて競技に出たスバルは、上の写真の2001年式の丸目GDBでした。2002年の20回アルペンラリーですね。もちろんラリーに出るの、初めて。ペースノート使って走るのも初めて。タイヤは競技用じゃなく、普通のポテンザだったもののSS2でグループNの3位取ってハマる!

このGDBは車体補強無し。ほぼノーマル

調子に乗って2004年の全日本最終戦で初めてグラベルラリーに出場。そしてグラベルラリー2戦目はアジパシのオーストラリアという、今からすれば無謀なチャレンジでしたねぇ。それでもオーストラリア、ニュージーランドと望外の順位で走り、さらにラリー北海道にWRCジャパンまで出ちゃいました。上がその時に乗っていた涙目のGDBです。2005年は国際ラリーに6回も出たら金欠! 

ライバルは全てシーケンシャルでした

以後、収入全てを競技に使うという修行の人生になります。借金返すため、2006年と2007年はラリーに出られず。何とかお金集めて鷹目のGDBを購入し、2008年のWRCジャパンに出場! JWRCを除くグループNの6位! 2009年も金欠。2010年はタイのラリー選手権にフル出場し、見事シリーズチャンピンを取りました。その後、2014年にタイ国王杯奪取。GDBいいね!

良好なグラベルだと最高に楽しい!

2013年は後輪駆動車でラリーに出たくなりBRZです! 競技車両に改造するという条件で貸してくれたのだった。改造車検は私が取りに行く。このあたりからタイで「クニサワの青いスバル!」と言われるようになります。BRZは初期トラブルが出きっておらずリアサスのアームが折れたりして厳しい修行になったものの、2輪駆動部門で優勝を含むいくつかのトロフィーを頂く。

まだ現役です。AT免許で乗れます

そして2016年にWRX S4。バラしてみたら車両ベースはSTIじゃなくレヴォーグだったため競技用パーツ一切無く、作るのに苦労しました。ロールケージを含め、基本的に喜多見さんが作ったワンオフモデル。15km以上の長いSSでCVTの油温が上がりセーブモードに入るのを除けば、とっても素敵なラリーカーであります。ATのラリーカーでタイ国王杯を頂く!

再整備してバッチリになりました

おそらく私にとって最後のスバルは、アメリカのグレートレースを走り切った360になると思う。9日間ほぼ全開で4500kmを走り切ったのだから素晴らしい! 愛らしいクルマのためグレートレースの皆さんから可愛がられ、今まで日本人は貰ったことのないアワードを2つも獲得してしまった! 今まで楽しませてくれたスバルに心から「ありがとう!」と言いたいです。

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