車屋四六の四方山話。今や当たり前になったジェット旅客機の黎明期
ベスドラ優勝で“棚からボタ餅”的に手にした、パンナムの世界一周航空券を手にして、ルンルン気分で羽田東京国際空港を出発したのは、昭和41年=1966年11月11日の深夜だった。
パンナムは世界一周路線を持つ世界最大の会社だった。ちなみに東京∞ロンドン運賃が$1500=54万円。それがタダなのだから万歳だ。搭乗したボーイング707型は米国初の最新鋭ジェット旅客機だった。1958年に就航。1万mを飛行する120人乗りだった。
航続距離が短いので、離着陸を繰返しながら、ローマに着いたら27時間という話は、前回に紹介したはず。米国初のJET旅客機707に次いで、二番目がダグラスDC-8で就航が1959年だった。
JET旅客機の世界初は?ということになる…こいつは米国でなく英国で、デハビランド・コメットの就航が1951年だった。さっそく英国海外航空=BOACのデモ機が世界の旅にでた…羽田国際空港には1952年7月に飛来した。招待された慶応大航空部の先輩が「1万m上空でテーブルの鉛筆が倒れなかった」と感心していた。
遅れた米国のJET開発を横目に、数年間は世界の路線を独占できると、デハビランドはホクソ笑んだろう…が、思わぬ悲劇が待受けていた。インド洋での行方不明は、単なる事故と処理されたようだが、BOACをふくむ2機が、地中海で墜落…人目がある地中海だから「空中分解だ」という目撃者もいて、墜落原因がわかった。
国家の威信にかけて、と英国政府と共同で原因究明をはじめ、広範囲に散らばった破片を集めて、大きな部屋に並べて機体を復元した。結論は、高高度飛行による機体の金属疲労だった…離着陸のたびに膨張・圧縮を繰返す与圧キャビンの金属疲労だった。航空法で3500m以上を高高度飛行という…空は上に行くほど空気が薄くなるから、与圧キャビンが必要になる。
すると離着・陸毎に、胴体は膨らんだり縮んだりを繰返する、金属疲労が空中分解につがったのだと判った。原因がわかれば、と英国の威信かけコメットの改良型に精を出した…改良を繰返し、最新モデルが、ようやく就航したのは1959年だが。そこにはまたもや悲劇が待っていた。
満を持して待ち構えていたボーイング707の乗客120人・時速900㌔。航続距離7000㌔に対し最終モデルのコメットMK-Ⅲの性能が、乗客80名・航続距離5000㌔・時速800㌔では、注文が来なかったのだ。
<おすすめ記事>