車屋四六の四方山話/中国の気球を見て大日本帝国陸軍の風船爆弾を思い出す

「迷い込んだ民用気球を武力攻撃・・・」と中国はオカンムリだが、直径60米+太陽光パネル、アンテナ複数、観測機器などで総量1屯近くとなれば、民用と言うには無理があると思うのだが。

中国が民用気球と言う大気球。太陽光パネルのような物が見える

米国を横断後、大西洋で最新鋭F22戦闘機の空対空ミサイル(サイドワインダー)で破壊、と米国は意気揚々だが、中国も目的は達成しただろう。米国接近をいつ探知?どう対処?赤外線追尾のサイドワインダーがジェット排気なしの気球攻撃可。攻撃が高度17粁というF22の高空性能推測、等々。

プロペラと舵付というから遠隔操作可能。撃墜までのカメラ映像+複数のアンテナで収集した電子情報などは、逐一衛星経由で送られただろう。それにしても一発5000万円というミサイルでの気球攻撃、大変な出費だが、あと2粁上がれば機関砲弾貫通でガスが抜け、飛散せずに落下。簡単に回収できただろうに。以上、元パイロット老人の勝手な推測である。

サイドワインダー命中直後。下部に観測機器のような物が

それにしても、偏西風に乗せて、観測気球を米国に飛ばす、中国はえらいことを考えたと思うだろうが、実は、最初に実行したのは日本なのだ。東京発の欧州便、米国便などが行きと帰りで時間差があるのは誰でも知っている。1万米上空を西から東へ流れる偏西風によるもので、時速200~300粁にもなるという。日本人が発見した偏西風は、ジェット気流と名づけられた。

この風に乗せて、米本土爆撃を考え実行したのが、大日本帝国陸軍なのだ。フ號兵器=気球爆弾=通称、風船爆弾と呼ばれるやつである。埼玉小川町の和紙600枚を、こんにゃく糊で貼って水素を詰めた風船は直径10米。15kgの爆弾1個+5kg焼夷弾2個をブラ下げて8000粁を飛んで米国へ、という仕掛けだった。こいつは世界初の大陸間弾道弾?とも言えるだろう。

風船爆弾

自動高度維持装置など当時のハイテク装備を持ち、欧米軍事評論家は天才兵器と呼んだ。昭和19年10月から翌年3月までに、9300個が放たれ、300余個が到着し、山火事を起こし、死傷者も出て米国はあわてた。最高の恐怖は、細菌兵器搭載だった。実際に陸軍は計画したが、昭和天皇のノーで実行できなかったという。

この風船は、日劇や有楽座などで、15才前後の女学生の手で造られたが、疲れると覚醒剤のヒロポンを打たれたというから、ひどいことをやったものだ。著名自動車評論家・三本和彦が「俺の姉も日劇で風船貼ってたよ」と、また娘時代の向田邦子も居たと聞いたことがある。日劇の手前は数寄屋橋解体中。都電。初代クラウン2台の上は1957年型クライスラー、その上部に円筒形の白い広告塔が。

最初の風船爆弾は九十九里の一の宮海岸からで、米軍は残骸から採取した砂などを分析、発射地点を突き止めようとしたが、直ぐに判った。必勝祈願で風船に貼った一之宮玉前神社のオ札が見つかったからだ。米国を震え上がらせた攻撃を直ぐに止めてしまったのは、陸軍が戦果なしと判断したからだ。米国は報道管制をしいて、米国民に被害を知らせなかったのだ。

 
日本国の情報収集の粗末さは、先祖伝来のものだったのである。最長デトロイトまで届いたという風船爆弾が紙製だとは判ったが、コンニャク糊だけは戦後まで不明だったと、昭和30年頃に日本グライダー倶楽部で仲間だった、米軍将校バッツ大尉が苦笑していた。<車屋四六

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1 Responses to “車屋四六の四方山話/中国の気球を見て大日本帝国陸軍の風船爆弾を思い出す”

  1. 呉屋慶 より:

    ミサイルを使用した理由は風船を破裂させないと中々落下せず落下位置を推定しずらくなるのと、搭載機器への流れ弾を恐れたようです…ショウ的効果も狙いでしょうね

    あと、さらに上空から通信解析と電子妨害も行っていたようです

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