珍しく私の記事でございます
「クルマ?そうだなあ。いつから好きになったのかなあ」
遠くを見つめるように腕を組み考え込む、車ガイドの国沢さん。がっしりと胸幅は厚く、背は高く足は長い。
学生時代バイク雑誌の会社にアルバイトで入ったことが、そもそもこの道に入るきっかけである。
大学4年になったときに、ある出版社の新雑誌の創刊に伴い「クルマの試乗レポートを書かないか」と声をかけられる。試乗レポートといっても、22歳の若造の書く記事などほとんど相手にされない世界。
そこで編集長は、知人であった徳大寺有恒氏に若き国沢さんの記事の監修を依頼してくれた。このとき、国沢さんの運命の歯車は、ゴロンと大きく回ったのだろう。
徳大寺有恒氏といえば、元レーシングドライバーにして自動車評論家。その歯に衣を着せない自由闊達な筆致で書いた「間違いだらけのクルマ選び」は、当時ベストセラーになった。
徳大寺有恒氏に出会い、影響を受けたことは国沢さんの大きな財産となる。
「視点がいいな、好きに書いてみればいい」
「文章の内容がおもしろい。このままクルマの批評を書く道にすすめばいい」
そう言われ、自動車評論家として道を歩むことになる。その後も徳大寺氏とは長く付き合い、娘さんの名付け親にまでなってもらったとか。「徳大寺さんと密着して仕事ができたのは幸せだった」と国沢さんは感じている。<続きを読む>
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