蒸気機関車
先日のこと、複数の人から「クルマ好きはカッコ悪い」という話を聞いた。考えてみれば私も「鉄道好きはモテない」と長い間、思ってましたね。実際、私が子供の頃って鉄道はカッコ良い趣味じゃなかったです。だからこそ「隠れてっちゃん」という言葉がある。しかし時代は変わったらしい。
中学2年までは乗るのが好きだったけれど、折しも蒸気機関車全廃間近。こら見に行かなくちゃいけません、とばかり1972年秋に鉄道100年イベントで水郡線の8620(元祖ハチロク)や、八高線のD51の写真を撮りに行ったらカンペキにハマッた。蒸気機関車ってクラッシックなキカイの芸術品だと思う。
以後、行きまくりましたね! 中央西線の木曽福島のD51や(明智線にC12も居た)、日中線のC11は何度乗りに行ったことか。中学2年の冬休みなんか「動輪はスポークだろ!」ということで、『ゆうづる』に乗り友達と二人でC55を撮りにクソ寒い塩狩峠へ行ったりして。マイナス10度の中、2時間歩いたぞ。
素晴らしいことに北海道は蒸気機関車天国。C62のニセコこそ終わっていたものの、夕張に行けばパワフルなD52が長い石炭列車を引っ張ってた。宗谷本線もC57だと「ありゃまぁハズれ〜」という贅沢な状況である。これに味をシメた私は中3の夏休みにバアちゃんから小遣い貰って九州一人旅。
新幹線など目もくれず寝台特急『さくら』で佐賀のC11。転戦し筑豊に行くや門デフの9600! 宮崎はC61。阿蘇のC12などやっつけまくる。その時に残っていた蒸気機関車を全部見たほど。40年前のことです。セノハチのC59とニセコのC62重連。奥中山のD51の3重連、見たかったなぁ。
1975年の12月に蒸気機関車が全廃になると、私の情熱は自転車に変わる。電気機関車じゃアカン。電車もスウコラ走るからズルい。やっぱし重いと坂が登れない蒸気機関車でしょう。ちなみに小4から毎月交通公社の時刻表を買っていた。ヨンサントオ前の時刻表も何冊か持ってる(ヨメからは捨てろと言われている)。
・大いなる旅路のテーマ曲(動画)
以上、鉄道ファン以外はナニを書いているのかサッパリ解らないことだろう。今の若い奴らだとクルマ好きの呪文もサッパリ解らない。どちらがカッコ悪いかということになる。ムカシは鉄道がマイナー。女の子からバカにされた。今やクルマがモテない、ということになっているんだと思う。
うなぎの高騰&品不足がいよいよ深刻になってきた。ただそろそろスーパーなどで売れない価格となりつつあるため、需要も減ってきたらしい。うなぎ屋も減り始めたそうな。ここで生き残れば何とかなるか? 創業から87年。止めるのはいつでも出来る。今日の私は「もう少し頑張ってみよう」と思ってます。
<おすすめ記事>
クルマ好きはカッコ悪い・・・ですか。カッコ悪い訳を聞きたいなぁ。
でも本能的に好きなんだから、しかたがないッス。
(・o・)ゞ
そうかぁ。
師匠は「てっちゃん」だったんだ!
自分は保育園の頃(40年以上前)
父の仕事場が駅の近く。
ズラリとSLがならんでいました。
見てましたねぇ。
お袋に頼んで、保育園を休んで
おにぎりをもって、夕方、父の仕事が終わるまで
線路脇に座って・・・。
帰る頃は「煤煙」だらけ。
よい思い出です。
思い出させてくださって、ありがとうございます。
国沢さんとは世代ギャップゼロのど真ん中ですねぇ。
私も中学2年の時、名古屋だったのでよく木曽福島にSLを撮りに行きました。
またそのころ一眼レフのカメラにも凝ってまして、暗室を作って写真を作ってました。
なつかし〜い。
しかし車好きはもてない時代なんですか〜
三木
言われてみればそのとおり、機関車に代表される機械好きが今やカッコ悪いのかもしれません。
車を分解修理してると家族は呆れ顔だし、パソコンですらソフトのインストールならともかく、電源をバラして修理していると「本当に元通りに組み上がるの?ショップに頼めばいいのに」と怪訝な顔をされます。
昔は機械に強いことが男の条件のひとつだったんですが、、、そうか、今は機械が壊れなくなったからか、、女性はいつの世も現実的です。
小生、ある日愛車ヴィッツ1300U-L/2004年式のプラグを交換しようとヘッドを外そうとしていた際に近くに居合わせた友人に「ヤーイ!お前がやったら壊れるぜ!」と指をさしてからかわれた一幕がありました。
さらにさかのぼってその前に乗っていた1992年式W124型メルセデス・ベンツ260Eの6気筒エンジンのプラグを脱着/清掃作業していた時に通りがかった近所の子ども達から「みてみて、あのお兄さん変なことしてる」「ヤーね」などとヒソヒソささやき合っている場面にも出くわし、全体として「メカいじり=エログロ/オタク」という風潮が1990年代以来世間に蔓延している様相です―何かと片腹痛いですね(´・ω・`)
さて鉄道オタ、小生が鉄道に目覚め始めたのは比較的近年で、大きなことは言えませんがそれでもJR165系急行列車(目下廃車進む)や同185系急行列車(踊り子号ほか)、山手線にはそそられるものがあります、そして先代253系成田エクスプレスも!
正直に打ち明けましょう、これらの車両いずれも顔つきが昔のワンボックスカー(三菱デリカを筆頭にあるものは二代目トヨエース、日産キャラバンetc)やマイクロバスを彷彿させてくれ、適度にダサくて親しみが持てる(∴新幹線のように尖鋭すぎない)のがその理由です―笑いたきゃ笑って下さい、こんな男がいたということで。
国沢さん、初めまして。
いつも楽しく読ませて貰っています。
3月10日に『美登里』に伺わせて頂いた、広島の者です。
当日は国沢さんにお会い出来なかったのは残念でしたが、
とても美味しいうなぎを食べて満足して帰広しました。
うなぎ高騰等で色々大変だと思いますが、また、機会があれば『美登里』に行って
国沢さんにお会いしたいと思っているので頑張ってみて下さい。
自分のように思っている読者の方は沢山いらっしゃると思います。
私は31歳で勿論現役を知らない世代です。
しかし、SLは観光列車として部分的に復活してますよね♪
昨年GWに函館大沼号として引っ張る『C11 207』に乗って来ました!
私達の世代にとっては逆に新鮮、現役を知る世代には懐かしさで多くの人が手を振ってくれるんですよ♪
ちなみにこの207号。
現役時代は北海道の日高線をメインとして活躍し、晩年は新ひだか町(旧静内町)の公園に鎮座していた車輌です!
ネットで調べた上っ面だけの情報ですが、霧が多い地域の為、前照灯が左右に一つずつ振り分けられた『通称カニ目』が特徴で珍しいらしいです。
さらに北海道、もう一輌のC11が存在しており、釧路湿原をメインに活躍しています!
長く書いてしまいましたが、自分は鉄道も好きだけど鉄ちゃんまではいかず乗り物全般が好きなんですよね♪
その中でも一番身近な車を好きになるのは自然な事でした。
何より自分で操縦出来るのは車だけだし。。。
国沢さん、まさか御大から門デフという言葉が出てくるとは思ってませんでした。マニアだったのですね。(基、今もですな!)京急2100系のモーター音等、
怪しいなあとは思っていたのですが。
確かに以前は山の手貨物線(今の埼京線ですよ、若い人達!)でも偶にはD51が長〜い貨物列車の先頭で頑張っていましたもんね。(本当に長かったんですよ、若い人達!)
155系の“ ひので ”で京都へ修学旅行へ行った最後の世代でもあります。この辺の事は鉄道マニアじゃないと何の事やらサッパリでしょうね。カーグラフィックの裏表紙の三和自動車の広告で時の新幹線0系を911と912であっさり抜き去って当時の大原さん(後の顧問です!)に怒られたという内容にワクワクした世代でもあります。901、930はやはり良かったですよね。911930に始まる車台Noは懐かしいです。