裁判所は機能していない

検察は行政に属すも、あまりに広い裁量権を与えられているものだから完全にカン違いしているように思う。「情報を漏らさない」という守秘義務あるし、全ての事案を同じに扱わなければならないハズだ。しかもいわゆる「成績が良いヤツ」の集団である司法は、人間として完全に未熟なんだと思う。鵜のように検察情報を丸呑みする。

昨日から冤罪である足利事件の再審が行われているけれど、この事件を担当した検察官は完全に事象を自分勝手に判断し裁判をすすめていた。前述の通り裁判所は鵜飼いの鵜と同様、雑魚まで呑み込む。アユも雑魚も区別つかないのだ。そういった意味じゃ検察は行政とはいえ、現実を見ると裁判に多大な影響力を持つ。

だから冤罪が減らないのだ。誰が見ても冤罪である高知のバスの運転手さんは現在拘置されている。鵜飼いなら鵜匠が「このバカタレ!」と鵜のアタマを叩ければいいけれど(実際は叩かないです。雑魚のいる場所に鵜を離した己の修行不足を反省する)、裁判所は独立した権限を持つ。やっぱり鵜匠に強硬なクレームを付けるしかあるまい。

足利事件を担当した検事は間違ったことをしたのにワビを入れない。行政だと言うことを全く認識していないワケ。この姿勢が冤罪を招くのだ。小沢幹事長の件は詳細不明なので全く解らないけれど(漏れている情報は選別されたり操作されたりしていると考えるべき)、たまには鵜匠とガチンコで戦うのもいいんじゃなかろうか。

もちろん今までさんざんエバッてきた検察だけに、もし負けたら徹底的な見直しをしなければならないだろう。交通事故や交通違反の裁判を見ていると、国民側から検察を見て「良い仕事をしましたね!」と感じる事案は皆無に近い。メディアと並び日本を原理主義の方向にすすめているツートップだと思う。

そういった意味じゃ裁判官の能力をハナッから疑って掛かっている陪審員制度は良い。高知のバス事件も裁判員制度なら間違いなく無罪になったろう。

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