中国情勢

中国の状況に不安定感が出てきた。尖閣問題は落ち着くどころか、ジワジワと拡大してます。御存知の通り中国って民主主義の国と全く違う。常識など無いのだった。その気になれば自動車部品の通関業務を止めることだって簡単。というか通関の遅れなど意図的なのか、本当に遅れているかなんて当事者しか解りませんから。

今や日本の自動車メーカーが中国から買っている部品は多岐に及ぶ。トヨタなど2,4リッター4気筒エンジンを中国で生産してるし、ベストセラーの軽自動車であるホンダN BOXの窓ガラスも中国製。NV350キャラバンや新型ノートの部品だって相当な量を中国から入れてます。逆に中国へ供給している部品も少なくない。

もちろん中国で販売している自動車そのものだって影響出てくるかもしれない。伊藤忠時代にあれだけ中国に対し貢献した丹羽さんすら厳しい状況に追い込まれてしまっている。イザとなったら日本政府なんか無能。フランスという中国に匹敵する強いロビーを持っている日産を除き、今後の展開は非常に読みにくくなってます。

かといって今から対応することなど出来まい。おそらく各社ヒヤヒヤして情勢を伺っていることだろう。一つ言えるのは、中国一辺倒だった海外展開に歯止めが掛かること。中国から逃げ出し、タイやベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーなどに出て行く企業も少なくないだろう。ワイヤーハーネスなんか工場投資も最小限で済む。

いずれにしろ中国が良くない方向に動き始めたら深刻。ここは民間企業で一致団結し、中国に対しアメを配るべきじゃ無いだろ
うか? 領土問題は微妙。冷静に考えれば国民レベルでのメリットなど無し。東京都の管轄である南鳥島や硫黄島ですら東京都都民は行くことが禁止されてい
る。中国人だって尖閣になんて行けない。

国民や民間レベルはもう少し冷静になるべきだ。そして最も大きなダメージを受けるのは企業なのだから「座して待つ」でなく動かなければアカンと思う。それには「趣味」(文化)としてのクルマなど有効。こんな時こそ積極的に動いたらいい。中国でクルマに乗れるような人って国の中枢に近い。おそらくコネだってたくさんある。

今こそネットワークをフルに使うときだ。モータースポーツ関係者
に援助するのもいいだろう。新興国でモータースポーツをやってる人って、クルマに乗る人以上に中枢に近い。当然ながらコッソリやればいいです。古今東西、
文化や趣味は人と人の間の最高の潤滑油だ。クルマ文化に出来るコトって少なくないと考える。

・ECOカージアは「超小型車コムスに乗った。こらダメかもしれません!

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7 Responses to “中国情勢”

  1. 平ちゃん。 より:

    尖閣については、中国側は日本に協議を申し入れ日本側が協議に応じないで勝手なことをやっていると怒っているようですが、ならば、中国政府は、国際司法裁判所に提訴をすればいいだけではないでしょうか?( こういうときのためにあるのが国際司法裁判所ではないのでしょうか? )
    日本側は、竹島問題で国際司法裁判所に提訴をする予定ですので、中国が日本を相手どって国際司法裁判所に提訴するのであればこれに応じることになるでしょうし。
    中国国内からは武力行使をとの声が(一部?)盛り上がっているとのことですが、この声を、中国政府は日本を相手どって国際司法裁判所に提訴しろ、との声に変えていくことはできないものなのでしょうか?
    、、、国際司法裁判所での審理が公平中立に進められるように判事その他を日本側も中国側も納得できるように構成すれば、その判決結果について日本国民も中国国民も納得せざる得ないようなものにすることは可能でしょうし、そうであれば、国際法に則って平和的に解決をされると期待できると思うのですが。

  2. 小林 英弘 より:

    お話とは若干論旨がズレますが…と言いますかお話の下敷の様な事ですが…この尖閣問題を含む「領有権問題」について、先月号の『週間プレイボーイ』で作家の橘玲氏がコラムで非常に興味深い論説をされています:
    (前略)領有権というのは、「なわばり」のことです。この問題がやっかいなのは、ヒトのOSが「なわばりを侵されたら激昂せよ」とあらかじめプログラミングされているからです。
    なわばりによって自分と家族の生存領域を確保するのは、哺乳類だけでなく、昆虫や爬虫類、両生類、魚類、鳥類にも共通する進化の大原則です。このプログラムは生き物が子孫を残すのにものすごく有効な戦略だったので、なわばりを守れないような個体は淘汰されて進化の歴史から消えていってしまったのです。
    しかし、たんになわばりに閉じこもっているだけでは遺伝子は途絶えてしまいます。メスは、相手のなわばりにいるからです。こうして進化という巧緻なプログラマーは、「相手のなわばりを侵せ」という命令を書き加えました。私たちは生まれながらにして、自分のものを守り、相手のものを奪うよう「設計」されています。
    尖閣諸島に香港人の活動家らが不法上陸すると、日本人は無条件に怒りの感情が湧いてきます。同様に、都議や県議を含む日本人が尖閣諸島に無許可で上陸すると、中国の反日デモに火がつきます。これは無意識の衝動なので、歴史的経緯をどれほど説明しても双方が納得することはあり得ません。
    そもそもヒトは、相手(中国人や日本人)が間違った行動をとったから怒りを感じるわけではありません。因果関係はこの逆で、まず衝動的な怒りがあり、その感情を正当化するために、「悪いのは奴らだ」という理屈が"理性によって"構築されるのです。このことから、なわばり問題では対話はなんの役にも立たず、火に油を注ぐだけなのがわかります。
    (中略)国家が存在する以上、領土問題は原理的には解決不可能ですから、私たちはそれを慎重に扱わなければなりません。しかし困ったことにいずれの国でも、衝動を正義と勘違いする自称「愛国者」と、それを売名に利用する政治家が溢れているのです。(了)
    …長ったらしい引用ですみません。でも含蓄のある文章だと思います。

  3. 平ちゃん。 より:

    以下、拾い物で、かなりの長文ですが、ひとりの女性中国人が分析した尖閣問題ということで、よくまとまっているようにも思われ、ご参考までにと思い。
    (ただし、訳文がどこまで正しいのかの注意は必要かと思われますが)
    (引用始まり)
    中国の女性企業家、広東捷盈電子科技・取締役副主席の林凡氏が8月24日、「尖閣諸島は日本のものだ」とツイートした。
    このツイートは25日夕方までに、当局によって全て削除されましたが、他のブログに全文を日本語訳して掲載されていましたので紹介します。中国人にしては、冷静で公正な分析です。
    ちょっと長いですが、興味のある方はどうぞ御覧下さい。
    ■領土紛争の解決には3つの方法がある
    私たちは、国際的な領土紛争を解決するには、通常、3種の方式があると知っています。(1)交渉で解決、(2)国際法廷に訴える、(3)武力を用いる――です。
    まず、1番目の方法を見てみましょう。交渉による解決です。 交渉には、双方が相手との間に領土紛争があると確認し、双方が交渉を望むという前提があります。中国側はもちろん、日本と交渉したいと考えるでしょう。
    では、日本側はどうでしょう。日本の外相は9月19日<訳注:何年の発言であるかは不明>、「尖閣諸島は日本の固有の領土だ。いわゆる領土問題は存在しない」と発言しました。相手が領土紛争があるとの基本を承認しないのでは、なにをもって交渉の土台とするのでしょう。さらに、日本側が交渉を望んだとしても、現在の国際政治では、交渉を通じて相手が実効的に占領している領土を取り戻すという考えは、「痴人の夢」とでも言うべきです。
    次に、2番目の方法を見てみましょう。国際法廷に訴えるという方式です。私は、この方法を重点的に論じます。
    ■「古くから中国に属していた」で領有権は決まらない
    中国政府・外交部の報道官は、釣魚島について語る時には「釣魚島は古くから中国に属していた」と言います。日本側の主張は実際のところ一貫しており、「無主地であり、日本が先にこの地に対して有効な統治を行った」です。
    これに対して中国側の“反撃”は、「われわれの、かくかくしかじかの古文書には、14××年に、釣魚島についての記録がすでにある。日本人よりも500年も早い」うんぬんです。
    しかし、すでに1925年の米国とオランダの間でパルマス島<訳注:フィリピン・ミンダナオ島とオランダ領東インド(当時)の間にある島>の事案で、国際法廷は「先に発見した者が、主権を有するとはかぎらない」との見解を示しました。「有効な統治があって、(領有権は)成立する」としたのです。たとえば、国旗1本を立てるだけでもよいのです。
    ■米国・オランダ間で「実効支配」が決め手になった実例
    パルマス島を発見したのはスペイン人で、16世紀のことでした。その後、オランダが統治していました。さらにその後、スペインはパリ条約でフィリピンとその周辺島嶼(とうしょ)を米国に割譲しました。米国は、その島嶼にパルマス島が含まれていると認識したのです。しかし、国際法廷はパルマス島の割譲を認めず、(それまで実効支配をしていた)オランダの領有が続くことになったのです。
    もうひとつ、参考の価値があるのがシンガポールとマレーシアが争ったペドラ・ブランカ島の件です。歴史的要因だけを考慮すれば、ペドラ・ブランカ島は明らかにマレーシア・ジョホール王国にとっての「古来からの神聖なる、分割することができない一部分」でした。
    しかしシンガポール側は1844年に同島に灯台を築き、実効支配を始めました。マレーシア側は長期にわたり、異議を唱えませんでした。マレーシアが1979年に自国地図にペドラ・ブランカ島を入れたことで、両国の争いが発生したのです。
    ■長期間放置・権利放棄で領有権は相手国のものになる
    国際法廷は最終的に、ペドラ・ブランカ島をシンガポール領と認めました。マレーシアが長期にわたり、(シンガポールの実効支配を)「黙認」していただけでなく、さらに重視されたのは、1953年にシンガポール当局がマレーシア当局に対して「同島の領有権はマレーシアに属していると考えるか」と質問した際に、ジョホール州の代理秘書が書簡で「ジョホール政府はペドラ・ブランカ島に対する領有権を主張したことはない」と回答したことでした。 したがって、国際法廷は「1844年まで同島がジョホール王国に属していたことは確かだ。ただしその後、マレーシア側の放棄により主権は移った」と判断したのです。
    ■火星を地図に描いても、火星は自分のものにならない
    不幸なことに、清朝時期はおそらく「普天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、糞青にあらざる莫し」<訳注:原義は、「あまねく空の下はすべて王(=中国の支配者)の土地、そこにいる人はすべて王の臣」の意。「王臣」をわざと憤青(=怒る青年)と同音の「糞青」に置き換えたと思われる>の伝統思想の影響を受け、自分の目で見えるのだから、われわれの土地だと考え、時おり(中国の)漁民が立ち寄る以外には、基本的に釣魚島において主権を直接に示す行為をしなかったのでしょう。
    明朝期の「籌海図編」や清朝の「大清一統輿図」を持ち出す人もいます。これらで少なくとも、われわれが地図の上で釣魚島を記載していたことは証明できます。
    しかし、地図などというしろものを持ち出しても、「アフリカが(自国で作成られた地図に)入っているから、アフリカはわれわれのものだ」とか、「火星を描いておいたから、火星はわれわれのものだ」と言うことはできません。
    ■日本は尖閣編入時、「微妙な問題」と認識していた
    これまで(世界で発生した領土争い)の事例を見ると、地図の証拠能力は地図自身の性質と質に関係してきます。地図の証拠としての説得力は、しばしば極めて有限です。たとえば、パルマス島の事例では、国際法廷は地図を証拠として採用するにあたって、地図が正確であることを基本条件として求めました。
    米国側は世界各地から1000枚以上もの地図を探し出しました。それらの中で、(領有権争いの相手国である)オランダの主張を支持する地図は3枚しかありませんでした。しかし国際法廷はパルマス島を(実効支配を続けていた)オランダの領有と判断しました。
    振り返ってみれば、日本政府は19世紀の末から大きなエネルギーを使って釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)を調査し、清国政府が所管した痕跡がないことをつきとめました。ただし、日本側は中国が同島をすでに命名していたことには注目しました。
    ■ところが、日本人が統治しても中国は抗議しなかった
    尖閣諸島が)清朝の勢力範囲に近いため、清国の領土であるという証拠はなかったのですが「万一の不測の事態が発生すれば、事態収拾が難しい」と懸念したわけです。 日清戦争中の1895年に起こった海戦で清国に勝利すると、日本人の姿勢は強硬になりました。釣魚島を沖縄県の所管として、標識を立てたのです。<訳注:正式な標識を立てたのは1970年で、下記の尖閣諸島への入植よりも相当に遅れた>
    翌1896年には同島を古賀辰四郎に貸し与えたので事業が始まりました。1909年には、同島に移住する者が250人近くになりました。
    しかし清国政府は(尖閣諸島に対する)主権の宣言を発表することはなく、実際の統治も行いませんでした。さらにスゴイことに、1970年代に石油資源が発見されるまで、中国は70年以上も日本や米国の釣魚島統治に対して、何の異議も申し立てなかったのです。
    ■「清朝は釣魚島を自国領と認識していた」証拠は偽造だった
    1970年代になり、釣魚島の紛争が改めて発生してから、米国在住の「盛家の子孫」と自称する盛毓真という人物がおどり出ました。盛毓真は慈禧(西太后)から盛宣懐<訳注:清朝末期の政治家・実業家。1844-1916年>が賜ったとする書状を発表し、清朝政府が釣魚島について“電柱に小便をかけていなかったわけでもない”ことを証明したのです。
    (釣魚島の奪還を目指す)保釣派は欣喜雀躍しました。盛毓真は愛国の星とされ、台湾に行って人を騙して大いに飲み食いをしたのです。
    ただし、ウマイことは長続きしません。中国大陸及び台湾の学者が前後して、盛毓真が発表した慈禧の書状には形式上の混乱があり、ありえない間違いがあることを発見したのです。例えば、盛宣懐の任官の年月日が事実よりも3年早かったり、慈禧の印が書状を書いた当時にはすでに使っていなかった、それより古い時期のものと判明したのです。結局、慈禧の書状は偽物と断定されました。
    ■下関条約と尖閣は関係なし、日清双方が確認済み
    この偽書以外にも、中国は釣魚島を「台湾と付属する島嶼(とうしょ)」の一部とみなして、馬関条約<訳注:日清戦争の講和条約。日本では下関条約と呼ぶ>にもとづき日本に割譲されたもので、清朝の領土であったのだから「カイロ宣言」及び「ポツダム宣言」の関連規定にもとづき、中国に返還されるべきと主張しています。
    問題は、日本は馬関条約の3カ月前に釣魚島を沖縄の所管に組み込んでいたことです。
    馬関条約締結時、清朝政府は日本が“魔手”を伸ばし、福建省沿岸の島嶼も「台湾に付属する島嶼」として自分のものとしようとすることを恐れました。そこで清朝側の要求により、双方は地図の形で(日清戦争の講和条件として)日本に割譲する島嶼を確認したのです。日本側が示した地図に釣魚島は入っていませんでした。
    そして、双方は「台湾接収文書」に署名しました。すべてが「双方いずれにとっても明確」なのです。<訳注:筆者は、日本は下関条約以前に尖閣諸島を領土に組み込んでおり、日清戦争の講和条約の結果として中国領である尖閣諸島が日本に引き渡されたのではないと指摘>
    ■論じていて気分が悪いが、事実は事実
    ここまで論じてきて、実に気分が悪いのです。しかし、話はまだ続きます。日本側には、もうひとつの主張があります。つまり、魚釣島は琉球諸島の一部分であり、理屈から行っても日本に属するということです。
    中国側は何としても、この日本側の主張は絶対に違うと証明せねばなりません。中日双方の古文書の記載からして、古琉球時代に釣魚島が琉球に属していなかったことは確実です。しかし日本が1895年に釣魚島を琉球に編入してから、日本と米国だけでなく、さらに致命的なことに、中国もが釣魚島は琉球に属すると言いはじめたのです。
    ■人民日報も「尖閣は琉球に属する」と明記
    1920年に、中華民国の駐長崎領事は日本政府にあてた感謝状で「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と書いているのです。さらに“殺傷力”が大きいのは、1953年に「人民日報」が発表した文章です。
    最初の部分には「尖閣諸島を含む琉球群島」と書いてあり、最後の部分では「琉球は日本人民が独立、民主、平和を勝ち取る闘争と、切り分けることができない」と書いてているのです。
    実際には、現在も一部の「保釣派」の理論は「釣魚島は琉球に属する。琉球は中国に属する。したがって釣魚島は中国に属する」です。これに対しては彼らに、痴(し)れ者の妄想はおやめなさいというのみです。
    ■日本にMAOのような人物が出れば、戻ってくるかも
    琉球が現在、日本に属するということは変えようがない事実です。日本人に琉球を吐き出させようとすれば、彼らの国家に、たとえばMAOのような領土を糞まみれの土地のように扱う神のような偉人が出現することを期待するしかありません。<訳注:MAOは毛沢東を指すと考えてよい>
    これまでの記述を総合し、台湾の保釣運動の熱血青年に馬英九総統が比較的遠まわしな言い方で「釣魚台(尖閣諸島の台湾側通称)を争う場合、国際法は台湾にとって不利」と言っていることもあわせてみれば、私は国際法廷に訴えた場合、(釣魚島を取り戻せるという)中国側の勝算はほとんどゼロと考えます。これが残酷な現実です。
    ■武力による奪取は、どう考えても不可能
    最後に、武力による解決を考えてみましょう。 現在、インターネット上には中日海空軍力比較が大量に存在します(陸軍は尖閣問題で使えないからです)。日本側がやや有利という説もあれば、中国側が勝つとの主張もあります。この種の比較は実際には、まったく無意味です。「日米安保条約」が存在するからです。
    法律上の義務、同盟国としての道義、あるいは自国のための戦略的利益からみても、米国は必ず日本を支持します。ヒラリー・クリントン米国務省長官も「私は明確に申し上げたい。尖閣諸島は安保条約第5条の範囲内であり、われわれは日本国民の義務を保護することを重視します」と表明しました。
    これまでの釣魚島を巡る紛争のとき、軍の側の原因があったわけではありません。しかし、頭がおかしいのでなければ、中国と米国の軍事力の差は、1段階や2段階の問題ではないと、だれでも分かるはずです。
    あるいは「戦争の勝敗を決定する鍵は、双方の武器装備の優劣ではない。精神と意志の力の違いだ」と言う人がいるかもしれません。
    ■尖閣海域に派遣される中国の監視船は哀れだ
    確かに、「冷たい兵器の時代」でも「熱い兵器の近距離作戦の時代」でも、精神力や意志の力は戦争の勝敗を決める重要な要素です。 ただし、現在の情報化・非接触式作戦の時代に、精神の力を強調するということは、すなわち精神力を淫するということです。もちろん、“愛国賊”らの圧力に対応するために、共産党も国も「強硬」な表現をします。
    そして党・政府は監視船数隻を派遣します。われわれの監視船が日本の軍艦と対峙することには、心がぞっとして同情の気持ちが出てきます。(日本側に阻止された時点で)釣魚島まではまだ数十海里もあり、そしてまた、傷ついた心で戻らねばならないのです。こんなつら汚しの小細工で、釣魚島を奪還できるとでも言うのでしょうか。
    ■尖閣はすでに日本のもの、将来も日本のもの
    結論: 釣魚島は日本人が出兵して占領したものではありません。われわれがぼろ布のように捨てたものです。日本人は宝物のようにそれを拾いました。われわれは異議を唱えませんでした。1968年に釣魚島海域で石油が発見されたから、釣魚島は一晩にして突然、「神聖にして不可分」な領土になったとでも言うのでしょうか。
    そして、泰山のように崇拝されている周恩来も、日本人に対してあいまいに「われわれはここで、あの(釣魚島)のために、論争をすべきでありません。いずれにせよ、地図の上で探しにくいほどの小さな点にすぎません。なんで問題になるかと言えば、石油が見つかったからにすぎません」と発言しています。これが、一国の指導者の領土問題に対する姿勢でしょうか。
    したがって、法律面、国際政治、実力を比較検討しても、釣魚島はすでに、そして将来にわたって日本のものでありつづけるのです。あなたは怒るかもしれない、あせるかもしれない、悲しむかもしれない。
    しかしこれが事実であり、真相なのです。
    (引用終わり)

  4. 阪神ファン より:

    尖閣に上陸した香港の活動家は、反中デモもやってるみたいだし、何かと騒ぎたいだけなのかもしれませんね。
    だいたい、反日デモしながら日本車を壊していますが、同じ中国人が所有していてもお構いなしですね。
    日本での反中デモは報道されませんね。

  5. TTT より:

    今まで散々援助した結果がこの始末でしょう。
    外交はお互いの利権を主張しあい、妥協点を見つけるわけですが、日本は引き捲りでこの窮状。
    日中国交正常化何十周年とやっておきながら、中国国内ではエスカレートする日本敵国教育。
    ここでアメなど配ろうものなら、嵩にかかってたかられるだけでしょう。
    尖閣は東京都に買わせ、国は知事に苦言を述べ、国民は愛国無罪とデモを起こして、自国の行動が他国からどう見えるかわからせれば良かったのではないかと思います。
    国沢さんは公人でしょうから支那とは書けないでしょうからchinaと書いてください。
    正式にはPeople's Republic of China
    中国は各国の中心を意味しているようです。無意識下に朝貢を刷り込んでいます。
    まずは中国と呼称しないことからはじめましょう。

  6. さね より:

    先生とは意見は違います。日本人に生まれたので感情的になるし、愛国心の名の元に冷静に企業や国益を考えられないアホな自分がいます。もう理由や大義名分など考えませんし、日本人と日本国の国益をどうするかもあえて考えません。尖閣問題もそうですが、 韓国との竹島問題を始め、北方領土問題。例え人が住まなく行くこともないとしても、自国の領土を守る為に同じ考えの国民の代表に見合う力ある人に選挙で投票するのみです。できるのはこれだけですが… 頭のいい人や権力者が考えを持って解決すればよい訳で、いち国民の自分は感情的に早く憲法第9条件改正までいってくれと思う今日この頃です。これ狙う政治家屋さんには、今がチャンスと思ったりもします。企業も経団連も座して待って腹くくってくか、スマートにやっていくか2つにひとつ。何が正義でとかは自分には分かりません。中華人民共和国は尖閣はまだ手始めで、いずれ沖縄も中国だとゆうでしょう。いずれ日本国事態、歴史をねじ曲げ歴史上属国だったから中国!と主調しても不思議じゃない国だし。企業も儲かる為とはいえ、こうゆう危険な大国と付き合うってゆう危険性を認識すべきです。ここで国の海域も含め領土、国民を守れないなんて国として成り立ちません。多分日本人の多くが思っているより中国の国土拡大路線は危険な大国とゆう事実は認識しとくべきです。大義名分や正義もスマートな考えもいいですが、国際政治なんて汚い事だらけでしょう。フランスや同じ敗戦国ドイツや欧州勢や同盟国アメリカはロビー活動もさることながら、いざとなれば自国を守る軍事力あっての二枚舌外交だと思います。大袈裟とゆう意見もあるでしょうが、その少し前の日本明治維新もそうですが、侍支配国だった我が国は、万事に備えて憂いなし。でいくのが基本でしょう。

  7. 志士 より:

    白人支配層というか、国際金融資本のオーナー逹は巧妙に火種を造っておいて後から火消しにいって旨い汁を吸うのが常套手段です。竹島も尖閣諸島も火種を造った連中の思う壺にならないように、巧みに連携するのが本来の道筋でしょう。

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