お祭り
昼から中野の町会のお祭り。ジイさんの代からお祭り好きとあって、積極的にサポートしてます。子供の御神輿&山車のチームにはうなぎとタレを混ぜたおにぎりを80人前奉納。叔母も板前さんもお祭りで盛り上がってしまい、商売ソッチのけ。お祭り通過が12時〜12時30分のため、開店できず。
打越町会と言う
まぁ御輿の一つはウチのジイさんが寄付したもの。私も人に負けないお祭り好きだからしてど〜んとヤリたりところなれど‥‥。このところお祭りで舞い上がった叔母が毎日のように2万円くらいづつ抜いていく。年内は頑張ろうと思っているが、苦労と赤字の補填のW地獄責めに耐えられるかどうか。
今時のコドモは元気ない
子供達にグレープとオレンjジとキーウィの3種類の飲み物を、氷の入った大きなバケツに入れて用意していたのだけれど、まずみんな長考。すぐ選べない。しかも男の子なのに氷の入ったバケツが冷たくて取れなかったりして。コドモを楽しませようとしたら、結果的に長い列になってしまいました。
叔母が用意したお菓子
ウチはおにぎりの加え、叔母が個人でお菓子セットを150人分くらい提供している。
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♪オラがのカールに仲間が増えた…..それにつけてもおやつはカール♯♭〜
そんなCMソングを(条件反射で)口ずさんでしまうような、三枚目の写真ですね!思わず元気が出ます。
みんな明治の菓子であるのが傑作ですが、小生自身今を去ること二十年強が経つハイティーンのあの日、早朝ごとに(寝ようにも寝付けず)一階の食堂に降りてきて、カールやピックアップなど明治のスナック菓子を口に入れて噛み砕いては流しに吐いて、母親にこっぴどく叱られた経験があります。
何でもあの頃、一階食堂で「日野トラック」だか「三菱ふそうトラック」の運ちゃん方御用達のラジオ番組<走れ歌謡曲>(提供:「むろん」日野自動車)を毎日聞きながら「スナックを食べては吐き、食べては吐き」を繰り返していたものです、ダイエットの一環として!
PS(あとがき)
あの頃の小生も狂っていたものですが(思春期末期の子どもたちの常で)、そんな「頓狂な頭」にして当時、こうしたトラック運転手向きの番組を聞くにあたって<走れ歌謡曲>以外聞かない主義でした、だってもうひとつの同種の番組<歌うヘッドライト>は「いすゞ自動車」の提供でしたが、同社は当時はトラック専門ではなく、片や「日野といえばトラック」「トラックといえば日野」だったのに対して「いすゞといえばジェミニやピアッツア…..そんな一般的な四輪車メーカー」というイメージのほうが強く、(∴「マツダ」や「ホンダ」、「ダイハツ」と同格の記号、それが「いすゞ」という意味!)「大型トラック=地上を走る最高峰のプロの機械」を手掛ける日野(そしてふそう)に対してプレステージ性(??)が一歩も二歩も譲るものだっただけに、「俺はそんないすゞ如きの低次元な記号…..普通の自家用車のような軽いイメージがあるメーカーなんて、マトモに目を向けないからこその俺であり、俺のアイデンティティなのだ!」と、「大型トラックの運転手になりたい」と考えていた(どうです、宇宙人でしょ:今では200%考えられない現象です!)小生は「トラック運転手=プロドライバー本位」に考えていたに違いなかったと分析できます!
そう、「自分は大学で自動車部に入っているような、普通の自家用車本位の、いすゞと聞いてジェミニやピアッツア類の連想しか出来ない人間たちとは一線を画する、プロドライバー予備軍なんだ!」と。
※
以上の部分は「国沢さんだからこそ」イメージ的に解っていただけたかと思います。
この辺は家族に言っても友人など民間の人々に言っても、全く解ってもらえずじまいの「小生の黒歴史」というべき考えですが、もはや20年が過ぎ、「時効になっている」と思ったからこそ述べさせていただきました。
今思えば「しみったれたイメージ」を抱いたいすゞも素晴らしき自動車メーカーで、日本の自動車界に示した足跡は尊敬すべきものと思います!いすゞ関係者の皆様も気を悪くなされないことを願いたいところです。