3月11日の東日本大震災から12年。改めて自分のサバイバル能力をチェックしたらいい

東日本大震災が起きたのは12年前の3月11日だった。地震発生の時間、私は練馬の自宅にいた。真っ先に心配したのが栃木県で働く長男と、たまたま栃木県に出張していた長女。電話は全く繋がらなかったものの、ツイッターで無事を確認出来た。次に心配したのがその時やっていた中野のうなぎ屋。電話すると幸いなことにお客さんや建物に被害なく、火鉢も無事とのこと。一安心。

JRは早々に運行を取りやめたため、道路大渋滞! だったらバイクね、と中野へ。「被災した時の移動はバイクしかないな」と理解す。中野のうなぎ屋を閉め、皆さん歩いて帰宅しているのを横目にバイクで帰宅。翌日から電力不足になるも、なぜか私の家は計画停電の対象外だったので大きな問題無し。ただ停電を受け、自力で電力を確保することが重要だと認識する。

貴重な”モノ”を届けにいわき市まで

翌日から原発の爆発騒ぎ。これで日本は原発をコントロール出来ない国なんだと認識。アカンと思う。そしてガソリン不足に。折しもリーフが納車された直後で、夜間の電力は余力あった。皆さんガソリン入れるべく並んでいるのを横目に、全く困らず。エネルギーの多様化が重要だと認識する。そんなこんなで東日本大震災で得た教訓は山ほどあります。なのに皆さん喉元過ぎれば何とやら。

すっかり忘れちゃったみたい。幸せな人って多いのね、と驚く。私は東日本大震災の際、全く困らなかったけれど次は我が身だと覚悟。自然災害に備えた準備を着々と進めている。もちろん100%安心なんか無いと認識しているけれど、相当運が悪くなければ何とかなるような装備を揃えた(運が悪ければオシャカです)。サポーターの皆さんを助けられるよう、余力も貯めている。

2011年3月11日の記事

もう一つの教訓は「国を頼っちゃアカン!」というもの。災害から3日間くらいは自力で生き延びなければならない。東日本大震災クラスの規模になると2週間くらい、いかんともしがたい感じ。どこかに避難することを考えるべきかと。逃げる場所の確保も必要だと思う。読者諸兄も自然災害や、中国や北朝鮮がロシアみたいになって武力行使してきた時の対策を練ることをすすめておく。 

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1 Responses to “3月11日の東日本大震災から12年。改めて自分のサバイバル能力をチェックしたらいい”

  1. 丸山弘 より:

    何時も参考になります。
    私は、ブラックアウトを経験しましたが
    国沢さんの言う通り、準備していたので
    なんとかなり、移動もスーパーカブに
    かえ、会社に行っていました。
    工場も被害受けて
    前日の台風、夜中の地震
    大変でした。
    今は、備蓄品に乾麺は
    パスタが良いと
    備えてます
    洗わなくて良いですからね
    今は、アウトランダーPHEVにしましたので
    電気はなんとかなりますし
    近所でも、使っていだければ
    貸し出しもしょうと思ってます
    これからも忖度無しの情報待ってます

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