「なんでハイエースでラリーするの?」とたくさんの人から聞かれます。by木原レポート

ある日の会社での先輩とのおハナシ。

「キハラさん、私ね、4キロ痩せたんですよ」。ほおほお、4キロ痩せるなんで凄いですねえ。かなり努力しないとそんなに減らないもんですよねえ。「で、どうやったらそんなに減らせるんですか?」とワタシが聞く前に先輩が「しかしね、みんな体調悪いんですか? って言うんですよねー」。顔色見りゃ体調いいかぐらいはわかるもんじゃないかなあ、とも思いましたが、なるほどモノゴトというのは見方によってまったく違って見えるものなのだなぁ、と、改めて思ったりしたものでした。 

「ハイエースでラリーをする」とヒトに話すと、大抵の方は「で」のイントネーションを上げて「何で?」という反応をされます。 よくわかります。「ハイエース」と「ラリー」という単語はなかなか結び付きませんからね。しかし例によってモノゴトというものは見方によって違って見えるものらしく「面白い!」という反応をされる方も若干おられます。

いろいろな見方はありますが、皆さんごもっともな見方でどれも否定する必要なんて全くなく、大事なのは自分が何をしたいのかをしっかりと持つことではないかと、お爺さんの領域に入ったワタシは思うのであります。喜多見さんは競技のみならず、モノづくりをする際にも妥協という事をしないヒトだという事はお付き合いを通じてよくわかっているつもりでした。

ですから喜多見さんのコドライバーとして一緒に戦えることは嬉しいと思いました。一方で「ハイエースでラリーをする」と聞いたときに「まじめに競技をする気なんだな」とは思いましたが、気持ちのどこかに「ホントに競技が出来るのだろうか?」という思いがあった事は否めないのでありました。しかも出るのは全日本選手権。

ゼンニホンって言ったら、そこに出るヒトはみんな表彰台に乗るために車を選び、クルーを選び、真剣勝負にやってくる場なのですから、ハイエースで出るって聞いたヒトは「何で?」に?がもう2個くらい追加されることでありましょう。ハイエースはノンターボ2.0Lガソリンですので、クラス上の分類は86などと一緒のJN3というクラスになります。

まさかハイエースでハチロクをやっつけられるとは、さすがの喜多見さんも思っていないでしょうから、もっともらしい理由は、新しく立ち上げた「CAST」というハイエース用のパーツブランドの製品を、ラリーを通じて開発するという事でした。まあそれはもっともらしい理由であって、もうひとつの理由は「ラリーが(ものすごく)したい!」であることもわかっていました。

出来たラリー用ハイエースはやっぱり全くガチのラリー用で、このあたりから喜多見さんが本気なんだなあとリアルに認識しはじめました。本人は最初から本気だったんでしょうけどね。初ラリーは全日本選手権の唐津戦でしたが、クルマが本気でしたので走りも超本気で走っているのですが、ステアリングスピードはノーマルなもんですから、ワタシの視界の端に映る喜多見さんは、いつでもステアリングをぐるぐる回し続け、インカムからはもう死んじゃうんじゃないか、というくらいの息遣いが聞こえてくるのでありました。

 

ハイエースラリー車は2台製作され、2号車は全日本戦は国沢さんが、Gazoo Rally戦では板倉さんがドライバーを務めておられます。百戦錬磨の国沢さんですが、ハイエースのラリー車を全開で細い山道を走らせるのはかなりのチャレンジと言っておりました。それでも1日乗ると「乗り方がわかってきた」とタイムをどんどん上げてくるのが凄いところだなと思うのであります。

でも、いつでもテクニック全開と言っておられますので、きっと脳内には私の知らない脳内物質やら神経伝達ホルモンが沢山分泌されていることでしょう。おかげで1日終わったあとにビールで脳内ナンたらホルモンを開放するのが本当に気持ちよさそうで、こっちまで幸せになるのでありました。

ラリー車というものは一旦完成すれば製作はオシマイなんて事は全くなく、ましてや新型の開発であればそれは止まることはありません。ハイエースもさまざまな部品が作っては投入されていきました。もはやCAST製品開発以外のことでも速く走るためには何でも作りました。速さのためにミッションを作る必要があることもわかっていましたが、それを作ってしまった時は、私は、ホンキというのはこういう事を言うんだよなあ、と自分のホンキ度の浅さを恥ずかしく思うのでありました。

普通のヒトはハイエースでダートを全開で走ろうとは思わないと思いますが、ホンキの喜多見さんは何の疑いもなく「次はダートのラリーに出よう」と言い始めました。それまで舗装で何戦か戦ってきましたが、それすら国沢さんの脳みそに変な物質を染み出させて何とかやっつける状態だったのに、更に動きが激しくなるダートでは何が起こるのか誰も想像できません。

いろんな経験をふまえても、「ハイエース」と「ダート」と「全開」の組み合わせは黄色い回転灯がくるくるまわっているのでは、と思われましたので、こんなことをするのはチョットオカシイと言う気持ちはよーくわかります。幸か不幸かコロナのためにラリースケジュールは何度も変更を余儀なくされ、結局ハイエースのダート初戦は北海道地区戦のARK300になりました。

ここは羊蹄山のふもとで火山灰地質のため、林道を何度もループすると轍(わだち)が深く掘れると言われ「ハイエース」と「ダート」と「全開」に「轍」がプラスされてしまったワタシの脳みそにはもはや黄色ではなく赤い回転灯が灯りそうでありました。そうして始まったラリーですが、何とさすが北海道。

本州の林道がSの字を何個も何個も一筆で書き続けるようだとしたら、北海道はコーナー間にそれなりの直線があるので、ぐるぐるステアリングによる喜多見さんの心臓を気にする部分は少なめなのでした。そして轍が深いところは気を付けなければなりませんが、綺麗な路面では国沢さん曰く「リア荷重が全くないから、500馬力の車みたい」にリアが出せることもあって、横に座ってるこっちが関心するくらいの見事なドリフト具合。

ワタシが言うのも何ですが、ハイエースってダートも行けるんだ、という発見があったのでした。この辺もやってみなけりゃわからない、ですが、周りに何と言われようと、出来ると信じて進めることの大事さを教えていただいたようでした。ああこのトシになっても学びは多いなあ。ダートも克服したハイエースの次の舞台は愛知のセントラルラリーとなりました。

これは舗装の中低速ラリーで、またしてもぐるぐるステアリングではありましたが、新投入のサスペンションの動きがよく、今までよりも安定して速く走れるようになってきました。そして明らかに唐津よりも速いのにタイヤの摩耗が少ない。これはもっと長距離がいけるとか、もっと速く走れる性能になってきたことを示していました。

緊急事態宣言解除後のラリーでしたので、このラリーではお客さんを入れて走りを見ていただくことができました。そのステージとなった新城の川原でドリフトをしたときに「歓声があがってたよ」と言われましたが、それはこの日にいきなりやったわけではなく、コロナの環境下1年間開発を続け、北海道でドリフトしまくってきた事でダートの実績をつくり、イケるとわかっていたので今までの延長として走っただけのことなのでした。ハイエースはそれくらい無理なく走れるクルマになっていました。

2号車をサポートし、CASTの販売を行っている丸徳商会はこの活動の大きな支えでした。徳間社長はラリーが好きで、難しいこの活動を常におおらかな目で支えてくれました。ですからセントラルラリーで2台のハイエースが無事完走したとき、嬉しそうに握手してくれたことは私の中で特別な想いとともに、熱い思い出になりました。

道が車を鍛えてくれると豊田社長が言っていました。これはラリーをやるための口実のようにフトコロの狭いワタシには聞こえたのは事実です。でもハイエースで1年間ラリーをしてきたことで、このハイエースは確実に進化し、安定して速いクルマになっていきました。確かにハイエースは道に鍛えられました。そして豊田社長の想いを理解した社員によって、ハイエースはもっといいクルマになっていくことでしょう。モータースポーツが車を進化させていくことは昔も今も変わらないのだなと実感できた活動でした。豊田社長、ゴメンなさい。

12月のL1ラリーをもってCast Racingの今年のレース活動は終了しますが、イベント等への出展は行うと聞いています。観客規制が少し緩やかになったことで、いろいろな方に1年間頑張ったハイエースを見ていただけるのはとても嬉しい事だと思います。そして来年もたくさん鍛えられたいと願っております。

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