プロのリスク

組織としてモータースポーツに参戦する際、もっと多く出る反対意見は「危険だから」というもの。当然の如く最悪の事態も考えなくちゃならない。得られるモノと失うモノを天秤に掛ければ出ない方がいいでしょ、という判断をするヒトも少なくないのだった。モータースポーツ関係者だけでなく、最近は高性能車を作る際にまで論議になる。

モータースポーツの限らず、人類の歴史を見ると、様々なリスクを背負うことにより進化してきた。飛行機なんか最たるモノ。何人の尊い人命を失ってきたことか。「外科手術すること」だってリスクを伴う。みんなで「危ないからやめよう」ということになれば、私もガンで死んでいた。いや。盲腸のような多い疾病だって死亡率高いです。

イスラム国で後藤さんは殺害された可能性が高くなってきた。ここで問題とすべきはイスラム国への復讐では断じてない。イスラム国に行くというリスクを背負わなければいいだけですから。レースやラリーが危ないというなら、それを止めろというのでなく、やらなければいいのだ。モータースポーツに出るヒトはリスクを覚悟です。

危険地域に行くメディアも同じ。リスクは覚悟している。実際、紛争地帯で激しい交戦に巻き込まれ銃弾を受けることと、モータースポーツで激しいクラッシュをすることは同じだと思う。もちろん危険な状況になるほど経験を必要とするし、準備だって怠らない。30年前のF1やWRCの車両を見ると、防護性能&ロールケージのシンプルさに驚く。

紛争地にメディアが入らなければ、どんな状況になっているのか全く解らない。日本を占領したのがアメリカでなく極悪非道の国なら、その状況を救ってくれる可能性あるのはメディアです。という点では後藤さんのようなヒトが必要なのだ。「行かなければ良い」と「復習」は人類として一番単純かつ文化レベルとしては低いと考えます。

私は紛争地帯でトラブルに巻き込まれるのと、モータースポーツでクラッシュするのは同じことだと思う。どちらも覚悟の上。どちらもシロウトじゃない。ここから先はモータースポーツの場合、オフィシャルの活躍と救護体制にある。もし致命的で無いクラッシュなら、救護体制さえしっかりしていれば助かります。F1なんか万全だ。

紛争地域で拉致された時の「救護体制」は国のチカラやプライドである。アメリカの体制は「強引な奪還」。犠牲を払ってでも作戦を敢行します。イギリスやドイツもその流れ。ラテンのフランスやイタリアなどは様々な交渉チャンネルで徹底的に動く。それが先進国の体制だと思う。ふりかえって我が国はどうか。私は大いに期待していた。

なのに後藤さんの状況を見るといろんなトコロにお願いしただけ。待つだけである。こうなると「経済面でトラブル出た時も同じ」だと思う。企業に聞くと「日本大使館は全く当てにならない。パーティばかりやってる。最初に逃げるし」と言う。今回の件で本当にそうなのかもしれない、と感じた。今の日本に一番大切なのは外交力です。

メディアに対して「危ないから行くな」。紛争国に対し「許さない。報復する」ではなく、メディアに対しては相談窓口を作るなどキッチリした情報流し、紛争起きている国や地域があれば、拉致事件起きる前の段階で様々なルート工作を行い(医薬品や乳児用ミルクなど援助)、引き渡しの条件など作っておくべきである。それが憲法第9条を持つ国のスタイルだと思う。

後藤さんの件、クラッシュで助かったのに、放置されて亡くなった、と同じ。情けなくて仕方ない。外務省や政治家に辛坊さんを救出した自衛隊チームのような根性があったら、と思う。後藤さん、申し訳ないです。悲しい。ただただ悲しい。

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