ホンダを苦境から救ったオデッセイ、実は何度も開発中止令が! 歴史からナニかを学びたい!

バブル盛り上がる1980年代中盤からのホンダは好調だった。NSXまで作っちゃいましたから。けれどバブル景気の破綻と共に財政状況は悪化。パジェロなど大ヒットし絶好調だった三菱自動車に買収され合併するんじゃないかという話まで出た。そんな苦境を抜け出すキッカケになったが1994年に発売されたオデッセイである。開発責任者はケイヒンの社長で企業人を卒業した小田垣さんです。

何度も開発中止を命令されたオデッセイ

改めてオデッセイの開発経緯を読むと、驚くほど容易に開発依頼が発せられ、驚くほど簡単に開発中止令が出ている。そして日本の営業部門からもアメリカの営業部門からも「いらない!」と評価された。上の記事はホンダの公式サイトなのだけれど、よくぞ会社のデタラメさを堂々と出していると思えるほど酷い! 社長だけ”よき理解者”にしてるけれど、社長もミニバン嫌いで有名でした。

左ハンドル作る計画全く無かった初代CR-V

5回くらい開発中止になっているのに不思議と開発が進み、発表されるやホンダの息を吹き返すことに成功する。小田垣さんいなければオデッセイなど100%出なかったし、ホンダだって経営的に厳しくなったと思う。ちなみにオデッセイの応援団は埼玉工場の場長だった下島さんや、私が1980年代にアメリカでホンダの”講義”をしてもらった大塚専務です。

オデッセイ。注文を出したアメリカ側が「こんなの売れない!」。日本側も「1BOXじゃなければだめ!」。よくぞ販売に持ち込んだ。当時を思い出すと、オデッセイに続くCR-V、ステップワゴンを企画した有沢さんの功績も大きかった。有沢さんが手がけたクルマ達の開発も、1994年にオデッセイが出て成功するまで日陰者で苦労したそうな。

現代版CR-V

有沢さん、ステップワゴンを出したがらない社長を強引に説得したという。RV群の成功は結果的に乗用車一辺倒だったホンダの方向性をガラリと変えることになる。新型コロナ禍終わり、強いトヨタが存在する状況の中、当時のホンダのような「社内の誰もがダメ!」と足を引っ張るプロジェクトを通してやろうという意気込み持つ元気の良い社員の登場ってないのだろうか?

その気になれば各社、何とかなりそうなベースモデルがある。ホンダはフィット。日産なら次期型ノートとエクストレイル。三菱自動車であればエクスパンダー。スバルについちゃお金に余裕あるため、新しい小型軽量のプラットフォームとパワーユニットを開発したらいい。くるまのニュースで書いた「アフター新型コロナ禍」の新型車を若手中心で開発したら面白いです。

ジジイはどんどん夢を失っていく。どんなに素晴らしい業績残した人だって年取ったら足引っ張る。若い世代に最小限の予算で好きにやらせたらいいでしょう。リーズナブルで燃費良くて楽しくて安全なクルマのマーケットはきっと大きい! 2022年の東京モーターショーで各社の次世代ベーシックカー人気投票などやったら、売れ行きにドライブ掛かる。

追記・昨日の記事、作成途中でアップしたものがPCではキャッシュに残ってしまっていたようで、本来「シエナ」が「シエンタ」になって表示されるケースが多数出ているようです。スマホではシエナになっているのですが。

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