失われた年月
最近よく「失われた××年」という表現を使う。誤った判断の結果、進歩&変貌する世の中の流れに追いつけず失策を続ける状況を示すのだけれど(結果的に地盤沈下してしまう)、ここにきて自動車ギョウカイでも「失われた××年をどうやって取り戻すか?」みたいなハナシが頻繁に出てくるようになってきた。
なかでもトヨタとホンダは失われた年月を真剣に取り戻そうと懸命だ。例えばトヨタは新世代バッテリー開発の遅れを認識。そいつとセットになる電気自動車の遅れを含め、挽回しようと頑張ってます。やっと日産のバッテリーの凄さに気づいた、ということなんだろう。半年前のトヨタじゃ考えられなかったこと。
ホンダもここにきて1998年〜2003年4月の吉野さんと、2009年6月まで続く福井さんの時代を「失われた10年」と表現する人が急増している。その筆頭に立ってるの、今や伊東社長か? 「NSX後継モデルなど二度と開発しない。ああいったクルマのニーズは無い!」と様々な場所で宣言してるという。
確かに直近のホンダを見ると期待できる技術無し! 現代自動車の猛追を受け、社内じゃ「ソナタショック!」が吹き荒れているそうな。ハイブリッドは吉野さん以後、放置されてしまった。2012年に発売すると宣言したハイブリッドや電気自動車も「安価なバッテリーのメドは立ってないらしい」。
読者諸兄の多くは「ここでトヨタとホンダは大変だな」と思わないだろう。だってトヨタの場合、少なくとも5年先行していたのが3年くらい失っただけ。ホンダについちゃトヨタより深刻だけれど、すでに変革を開始してます。インドで発表されたエントリーカーより下のクラスの開発にも着手している模様。
深刻なのは後世に「失われた日」と評価されるだろう日々を現在進行形で過ごしているメーカーだ。具体名を挙げなくても聡明な諸兄なら理解して頂けると思
う。昨日の日記でも書いた通り、引き際を自分で判断出来なくなってしまった感じ。未曾有の変革期を迎え、必要なのはダイナミックな進化だ。
自動車メーカーだけでなく、私を含め、もう一度ダーウィンの「最も変化に順応出来る種が生き残るのだ」の意味を考えたらいい。変わらなくて良いのは「文化」で、こらメシのタネにゃならんです。文化は人間が生きるために必要な夢。こいつをゴチャ混ぜにする日本人が増えたと思う。
<おすすめ記事>
ホンダは、クルマ開発でも現行車を全否定して取り組むと聞いたことがあります。それがホンダらしさ・新しさの源だと思うし、独特の文化だと思います。
しかし、全否定といっても現行車を切り捨てる訳ではなく、次期型のコンセプトを練り上げる基準として位置付けていると解釈していました。
ホンダの社長が「失われた××年」と言うのだから、よほどハイブリッドやEV開発が難航しているのでしょう。またその期間に産み出した、アメリカホンダの規模拡大や、日本ミニバン市場の創出、リアルスポーツ路線に2代に渡るフィットの大ヒット等の成功体験を振り払わなくてはならないほど、硬直化した大企業病が蔓延しているのでしょう。
それでも、トップたるもの「失われた・・」等と言ってはいけない。自分自身ホンダ車オーナーとして、10年間大切に乗り続けている大好きな初代ステップワゴンを、社長から「失われた時代のクルマ」と全否定された様で、ハッキリ言っておもしろくない。ホンダオーナーをなめるなと言いたい!
(▼皿▼)Ψ
また本田宗一郎さんは、「失敗しないやつに良い仕事はできない」と話していたと聞き及んでいます。そりゃあ成功も失敗もあったでしょう。成功案件が、時代が変わって大失敗になることもあるでしょう。でもそういう全てを独創の糧にするのが、ホンダイズムなのではないでしょうか?
「愚痴る暇があるなら、世のため人のため地球のために知恵をしぼれ!このバカヤロー!」とあの世から聞こえてきましたヨ。
それから、本田宗一郎さんといえは、名コンビの藤沢さんですが、唯一ホンダで「失われた」とすれば、藤沢さんの役回りだった「ダイナミックな経営感覚」だと感じています。
個人的にはそんなに深刻にならなくてもいいんじゃないかな?と思います。トヨタのエンジン&回生ブレーキを精密緻密に統合制御するシステムは未だにどのメーカーも実用化できていないのだし、「失われた○○年」なんて大袈裟な言い方する必要性は??です。まぁ今現在が”第5次中東戦争”の真っ最中で中東から石油が一切手に入らない!世界情勢なのなら「失われた…」と悲観もするのでしょうが(笑)。ホンダも1998年〜2003年4月の吉野社長の時代といえば新しく愛車になったトルネオ君が現役バリバリだった時代。本当はESシビックフェリオの中古を買うつもりで探していたら行き付けのディーラーの仲の良い整備士さんが「トルネオなら同じ金額でSiRが買えますよ!アレは足回りがフロント&リア共にダブルウィシュボーンでリアは5リンクダブル…でホンダが凝りまくって造ったとってもいいクルマですよ!」と猛プッシュするのでESシビックフェリオをやめてトルネオSiRを探しに探して買いました。乗ってみると仰る通り素晴らしく真面目で素直でそれでいて高性能な素晴らしいクルマです!。…どうもホンダに対する過度な世間の(というか自動車雑誌が無責任に煽り立てる)「期待」のようなものが「失われた…」なんて論評に繋がっている気がします。自動車雑誌の方々に一度聞きたいですね。「ホンダが質実剛健で実直真面目な地味なクルマを造ってはいけないんですか?。アナタ達クルママニアが数時間の試乗会で有頂天になれるような特殊なクルマしか造ってはいけないんですか?。今の最新技術でトルネオみたいな真面目で総合点(マニアじゃなく一般人の)の高いクルマを造れば現代自動車なんか敵じゃないんじゃないのではないですか?」と。個人的にはトヨタもホンダもちっとも時間を失っていないと思いますが。私の見識は甘いでしょうか?
未来は思い出すだけでいい・・・。
各自動車メーカーさんは既にモーターショーなどで、斬新な未来の姿や方針を提示し続けてきたのですから、早すぎた意志を思い出すだけでいはず。巨大な鉱脈を社内に持ちながら過去に流しては惜しいですよね。ディテールの見直しだけでも、いますぐロールアウトしてほしいクルマや機能ばかり。
明治維新の坂本竜馬や信長など、過去の偉人は凄いのですが英雄だから・・・故のネガティブもありました。私達、現代の人間は、それを知っているのですから、ネガな部分だけを打ち消して!よりよい理想像を構築できます。歴史や思い出の中だけの存在をリファインして完成の域に近づける。枝の接木はあっても、種は失われた?みたいな・・・原点喪失に歯痒さを感じる人は多いのでしょうね。万人はクルマを求めていません、この人だけに乗ってほしいクルマや、こんな人達に乗ってほしくないと主張できるクルマの存在感が最も尊重されていい時代が来たのではないでしょうか。その棲み分けが明確ならば・・・クルマは・・さらに素晴らしくなる。意味もなく消費に踊らされて、保有?ばかりに躍起でしたが
。貴重な資源を投入して造るクルマ(乗り物)は、ターゲットを個に訴求する対象でこそ活かせるのではないでしょうか
。