許容範囲狭まる
私のWebのコメントを見ると、30歳前後を中心とする上限40歳と思われる人達は「自動車ジャーナリズム」が全く通用しないな、と思う。というか自分を基準としているので、自分と違う他人の意見は排除しようとするのだった。「そういう意見もあるのかな」と考えないのだろう。驚くほど許容範囲が狭いのだ。
例えばi-MiEVは走行距離の短い『M』タイプを出した。普通に使おうとすると走行可能距離が足りないと思う。現在発売号のベストカーで従来型と電費や動力性能の比較をしており、そのデータ見ても明らかに厳しい。余力無いため踏み過ぎるんだろう。首都高を走った時の電費は従来型より圧倒的に悪い。
そんなことから「Mタイプは狭い地域用。電池容量を減らして値下げするのでなく従来型のi-MiEVの価格を見直すべき」と書いた。するとMタイプを買った人は許せないらしい。「Mタイプで何ら問題ない」と怒る。i-MiEVの「グレード選び」で感情的になってしまうワケ。私のWebなんか読まなければいいのに。
また「買いもしないのに文句を言っても仕方ない」と書けば「だったらお前は全部買うのか?」とか「評論家の仕事を否定するのか」と来る。ミソクソ一緒。実績もへったくれも無し。自動車メーカーの広報に「自分で自動車関係のWebをやってるんだけど広報車を貸してください」という依頼も少なくないそうな。
おそらく社会全体が同じ傾向なんだろう。自動車関係は基本的に趣味の分野だし、そこそこお金もある人達。シビアな分野になったらさらにヤヤこしいんじゃなかろうか。結果的に正しい決断や、素早い実行が出来なくなっていることは想像に難くない。このままだと我が国は一段と閉塞感が漂うことになる。
・ECOカーアジアは「電気自動車に必要な装備」
<おすすめ記事>
「主観的な発言をする」のは簡単です。思った事をそのまま言えばいいだけですから。なので発言の内容は「超個人的=自己中心的=独善的」でその結果「攻撃的で排他的」になりがちです。また人は皆プライドがありますので、クルマの様な高額品に関して自分が買った物を良くない様に言われれば(←正確に言えば「「読み方次第では「お前の買ったクルマは良くない品だ!」とけなされてる!」と取れなくもない発言に接すれば」)イラッとするのも判ります。
ただその「イラッときた気持ち」を「そのまま不特定多数の人達の目に触れる公のコメントの場でそのまま表明する」のはモラルの問題としていかがなものでしょうか? 国沢さんは自動車評論を職業としているプロの方ですので、その発言は当然、広範多岐な情報収集や全車種全グレードの試乗といった「プロの仕事」の裏付けがあります。ミーハーな素人の「私的試乗記」の類とは次元が違います。「プロの発言」に素人がムキになって噛み付いてどうするんですか? 週末ゴルファーがプロゴルファーに向かって「オレ流スイングの方がお前より飛ぶぜ!」と言ってるのと同じでしょう? 第三者の目には余りにも滑稽で次元の低い戯言としか映りません。
何より良くないのは、国沢さんの「プロの仕事」に対する「敬意」を欠いている事です。国沢さんがWebでコメントするのは「自動車評論家という職業人としての仕事」です。「他人様の仕事」を匿名の発言で批判する(というか「批判」にさえなってない罵詈雑言の類も多いでしょうが)のは社会人としていかがなものでしょうか? 少なくとも私にはそんな事は恐れ多くて出来ません。
30歳前後と言えば「ゆとり教育世代」の方々でしょう。私の職場にもこの世代の人間が多数いますが、ほとんど全員が哀しいほど「組織の一員として仕事し生きていく」事に対する適正を疑いたくなるバカ共です(←敢えてこう言いますが、これはあくまでも私の職場の人間を評しての発言です)。この世代に特徴的なのは、「他人の身になって考える」「自分が逆の立場になればどう思うか?どう行動するか?」の視点がスッポリ抜けてる事です。簡単に言えば「人の気持ちが解らない」のです(この世代より下の〜25歳位の人間はそうではなくキチンと「人間教育」が出来ているのですから不思議です)。
最初の話に戻りますが、逆に「客観的な発言をする」のは非常に難しいです。これは訓練を要します。しかも「真に客観的な発言」というのは至難の業です。「そこそこ客観的」で十分合格点でしょう。というのも「人間は自分の経験した事しか理解できない」からです(これに関しては哲学書でも心理学関係の本でも読んでみて下さい)。「理解している」と「理屈は知識として知っている」は似て大きく非なるものです。なので「客観的な発言をしよう」とする際には「謙虚さ」とある種の「トゲのなさ」が必要です。これらは大学院時代に徹底的に叩き込まれた事です。
国沢さんはプロなのですから、私を含むクルマ好き素人の方々は、素人故の限界を理解した上で「謙虚に建設的なコメント」を発することが大事だと思います。非建設的な不毛な罵詈雑言からは何も生まれませんよ。
ギクリッ!
ネットは、自分の好みに合った情報に浸れてしまいます。そういう環境が前提ですから、よほど強く意識しないと、居心地の良い情報に引きずられてしまうのかもしれません。
でもそういう自分自身、広く深く考えることが大切だと感じるその一方で、まさにこうしてファンサイトで、考え方の裏付けを求めようとしている訳ですから、やっている事は変わりませんですね〜。
( 」´0`)」あ、そりゃそりゃ〜(思考停止〜)
>「自分で自動車関係のWebをやってるんだけど広報車を貸してください」という依頼も少なくないそうな。
ウ〜ン。これは笑うところですね。しかし根性あるなあ。おそらくディーラーにはいけなんだろうな。
けど先生、メーカーとの関係維持(食い扶持)や広報車を継続的に借りたいが為(趣味の延長)としか思えない多くの自動車ジャーナリストのヨイショ記事のせいで、多くの雑誌は廃刊(自動車ジャーナリズムの歴史を作った分厚い雑誌も最後はトヨタの広報誌かよと思うぐらいひどかった)
結果、一般人の試乗ブログの方が信頼性がある。というイメージが定着した昨今、国沢先生は最後のプロとして、どんな言いがかりや嫌がらせの輩も「フーン」と唸らせる程の根性を見せないといけない時代かもしれませんね。
まあワンボックスでない軽、イースやミラの「後席ヘッドレスが無いのはどういうことだ!」と騒ぐ輩に限って、独り身とみた!(笑)ちなみに、地方でのミラやエッセの後席はほぼエマージェンシーシートです。
また失礼いたします。
ご自分を中心とした思考、言動を掲げておられる
人々は・・・たいへん立派だと思います。
私は専門家ではないですし、クルマ知識や職業の
領域ですら他人(専門誌や評論家)が咀嚼しやす
くしてくださった内容を授かっただけですからね。
とても楽しませていただいてる世代という訳です。
若い世代なら勉強量も頭脳も闊達だから、ご本人
が専門家に匹敵する知識を造作もなく展開して、
ほぼ独自の結論(もしくは現在の情報による解釈
や知識の限界付近までを答えとしたい傾向?)を
中心にして進んでこられた人々ということ。
(これも偏った意見ですが・・・許)
次々出される課題を質はともかく処理して結論を
出したことにしないと、競争に生き残れないかの
ような閉塞感ある学生時代を余議なくされていた
からでしょう。
思慮を重ね、掘り下げて楽しむというよりも。
知識は生み出す物ではなく、大量に出されてから
与えられた容量ないで手早く選択することが必定
だからかもしれません。
受験戦争など他人事の世代から見れば戦士の勇ま
しさ(明日をも知れぬ命・・・消耗型の暮らし)。
思考錯誤より時代錯誤、知識より恥識?の私など
が意見を述べられるのは、他人の手入れした庭園
で行われているパーティー宴に手土産もなしに?
飛び入り参加をさせていただいているようなもの
ですから・・・恐縮です。
しかし自由に意見を述べられる場所があることは
とても楽しいじゃないですか。
クルマへの興味が、好きだから(恋の様に)知識
もついてくる者がいるとしたら。
クルマも手札のひとつとして知らないよりは処理
して濃い情報など所有(消費)しておきたい人間
に分かれるかもしれませんね。
「恋」は面倒くさいから、風俗でもいい(失礼)
人々は、ドライというか・・・恋じゃないから?
失敗したり傷ついたりしたら大騒ぎ。
ダメージ受けるより出場しない、某・・・赤牛の
スポンサードみたいに勝ちまくれる格好よいなら
宣伝でもしたいくらい。ネガな結果からは逃避、
マシな結果の為だけに上手く立ち回る舞い?がッ
人生として、過密で無機質・・将来性に夢もない
日本に生きる(変容に依存した)国民(酷民かな)
の姿なんでしょう。
否定される前に否定する側で保身したい。
イジメられるよりイジメる側で楽したい。
愛の募金は世間体への保険、国際平和は誰かやれ
・・・そんな風潮の責任は?誰にもございません。
水・・・一滴が得られない国ならば、それを達成
してから生きるも学習もあるはず。
日本は見事に欠けている楽園の代表。
選択どころか生存の知恵もなければ、クルマどこ
ろか生存できない国々から見たら、他者に伝える
精神(心)無しに、情報の共有化と多重の選択肢
からなる国。
現代の世界には様々な分野の詳細な知識や経験を
当然のごとく備えた人間が!どこにでもいます。
それが少しも不思議じゃない世界。
さらに若い方々のどんな意見が飛び出すか興味津津
まぁ、五月蝿いこと言ぅたら飽きまへん[E:paper]ということですかな[E:catface]
ただ、確かにi-Mievの短距離版は失敗と云わざるを得ないですね。元が距離足らないんだし。価格下げろってのも難しい話で、せめて現状では今時のエコ住宅みたいに屋根一面に充電用の太陽電池を敷き詰めるオプションでガス欠ならぬ電欠に対応できれば走行距離の面でも充電設備の不利から云ってもかなり良いような…って完全に素人意見ですが、どうでしょうか[E:sign02]
電気自動車はまだまだ未完成の分野ですからこれからまだまだ改良の余地はある、改良は日本人の得意分野ですからね。
そうゆわれれば閉塞感だらけですね。人の考えは十人十色だし、意見の相違やインターネットでのやり取り見ると、難しいし考えさせられますね。暴言言う人多いし。 朝まで生TVみても、有識者、政治家とゆわれる人達も意見相容れないし。あれは視聴率的なのもあるかもしれませんけど。 スズキとVWもそう考えると、民族的思考や経営哲学が違うんでしょうし。 自分も人の意見を聞かないといけないな素直に。あとはヤッパリ、マスコミ不信もあるんだと思います。いろんな意見があるほうが健全だと思うし、またその中の有益な主張や、すばらしい論理が日本人と日本車に反映される世の中になってほしいです。マスコミ不在とゆわれる日本のジャーナリスリズムにも、頑張ってもらいたいです。世代はともかくそんな頭固くなってんのか… ちなみに国内産業、自動車メーカー、政治家も官僚も柔軟性欠けてますよね?お互い様で閉塞感か… いやあいよいよもって落ち目かも日本。今こそ昔の人の言葉に耳を傾けましょう!ここまで閉塞感だと、古きを学び新しきを知る!なんてどうでしょう?
国沢さんの仰る「自分と違う他人の意見は排除しようとする…」は企業にも当てはまりますね。 高度成長期に育った世代は他人の意見を聞く耳を持たず、われこそは一番と傲慢となり、生身の人間の建設的意見に対してもインターネットで得られる情報を都合よく採用し自己保全と自己正当性の根拠にしているように見受けられます。 トヨタやホンダが現代にしてやられたのも「我こそは一番」と驕っていたのがその原因でしょう。 古川工業がワイアーハーネスの商売で米国の独占禁止法に違反し莫大な罰金と関係者の服役に処されたのも、日本の談合商慣習をそのまま持ち込み傲慢にも現地の法規を無視したことによります。 小生が50年近く前に米国で仕事を始めたときには何から何まで新しい経験で、貪欲に現地事情を勉強し米国的思考と行動をしようと努力したものでした。 願わくは、若い世代の日本人に本来の日本の美徳である謙虚さと勤勉さで耳に痛い他人の意見にも注意を払う寛容さを持ってもらいたいものです。
追伸、
聞く耳を持たない企業の傲慢は、今回発覚た三菱重工業のコンピュータウイルス問題にも現れています。多分大三菱では年功序列がはっきりしており、情報管理責任者はインターネットの恐ろしさを理解できない主流を外れた定年間際の古株、実務責任者は脅威を過小評価する傲慢バブル中年だったのでは? 新種のウイルスに感染したのならまだしも、既知で検知可能なもの50種類以上に感染していたとは、信じられない怠慢さです。特に裏木戸を開け放された状態で何ヶ月も放っておいたとは、弁解の余地はありません。 これにより高度の技術情報が盗まれ日本の安全をと利益を損なわしたかを考えると一怠慢企業の問題ではありません。以前デンソーの技術が社内スパイにより図面ごと中国に筒抜けになった事件がありました。最先端の技術を持つ日本の自動車関連会社も三菱重工業を他山の石としなければ… 敵は身内の傲慢無能社員です。