1992年にマクラーレンホンダのテストをしていた伝説のドライバー、古田秀夫さんに会ってきました!

古田秀夫さんという方と繋がりが出来たのは数年前のことでした。その際「F1のテストドライバーをしていた方です」と紹介されたのだけれど、状況全くイメージ出来ず。そもそもF1に乗れる人からして限られている。一般的にはF1に乗っていた人や、F3やF2のチャンピオン級のドライバーだ。しかもマクラーレンホンダだと聞いた。どんなことなのか1度話を聞いてみたいと思っていた次第。

本日、タイミング合って、とりあえず御挨拶を兼ね寄ってみました。短い時間でしたが話を聞いて驚くことばかり! あまり軽々に書くとむしろ信じられなくなるような内容であります。極めて短く紹介すると、そもそも2輪のレーサーをやっていて大きな事故に合い引退。知人から「F3に出てみないか」と誘われ、テストドライブしたらイキナリTOPクラスのタイム! すぐデビュー。

戦闘能力低いクルマだったため成績は伸び悩むも、最終戦でシリーズチャンピオン取ったクルマに乗ったらスンゴイタイム! 翌年フル参戦を考えてたらバブル経済崩壊で全て白紙に。ダメモトでイタリアに渡り、グランプリ中のホンダF1チームを尋ねると2輪でレースをやっていた時の人が居て「テストドライバーを探してる。オーディション受けてみれば」と誘われエストリルでテスト走行。

名前を聞いたら誰でも解るドライバー達と一緒にマクラーレン・ホンダに乗り、たった3周。古田秀夫さん曰く「身体が持たないと思いました。無理だと思いました」。けれど合格! 何と1992年シーズンのテストドライバーをしていたのだという。ホンダの12気筒を搭載するマクラーレンMP4/7Aですよ! その年、開幕当初はウイリアムス・ルノーに圧倒されたが、ドンドン速くなっていった。

オーストラリアで行われた最終戦はベルガーが見事に優勝を飾っている。シーズン中、コマツがシステム開発を担当していたアクティブサスなどもテストしたそうな--ということで本日聞いたのは概要。ホンダなどに突っ込んだ話を聞いていいものかなど交渉した上、じっくり取材をしてみたいと思いました。それにしても才能って素晴らしい。本格的にレースやってたらどうなったろう?

<おすすめ記事>

コメントは受け付けていません。

このページの先頭へ