お寿司屋さんとコーヒー屋さんの若手女子に感心す(5日)
最近、若い人で驚かされることがある。いろんな場面で、高い応対能力のある若手と遭遇するのだった。こらもう「どんな時でも」だ。本日はお寿司屋さんとコーヒー屋さん。いずれも女性だったのだが、誰だって「いいね!」と感じるくらいスマートかつ丁寧かつ愛想よくレベルの高さに驚く。
どこでどうやって育ってきたのか不明だけれど、日本も捨てたモンぢゃね~ぞ! と嬉しくなる。好対照に割と年喰ってるアルバイト風の人の対応に「なんだよ!」と感じることも。どうやら我が国は上流と下流の差が(一生懸命前向きに頑張る人と、単に生きてる人)大きく付きそうな雰囲気。
いつもの通り北半球の風向きと気温を参考にしたインチキ天気ヨソウなど。関東以北についちゃ今週一杯蒸し暑い日が続く。夏は長くないと思うので、思い切り冷たいビールを堪能して欲しい。次の日曜日から北東風吹くため、また暑さが一段落する可能性大。関東以西は相変わらず暑いです。
以下、グレートレースでアシスタント&カメラ担当をしてくれた上野さんのレポートです。単に「書きたくなったので書きました」と送ってきたのだけれど、これまで紹介していない裏の出来事が出ていて興味深い。文章も飽きずに読ませるので紹介してみたくなった次第。お時間ある人はぜひ!
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深夜近く、米国フロリダ州ジャクソンビル国際空港に降り立つ。聞いていた通り蒸し暑いことこの上ない。ここで待っていてくれたのが、グレートレース2017にスバル360で参加する国沢さんとコドラの小島なつきさん。
スバル360 1917年に設立された「飛行機研究所」から端を発する航空機製造会社が、初めて作った自動車。日本のモータリゼーションの黎明期を形作った1台。
国沢光宏さん グレートレースに参加すると聞いて、私が同行に手を上げてからこれで会うのが二度目。雑誌で一方的に名前を覚えてから三十年を超えた。グレートレース参加のきっかけは「スバル360で日本人の心意気をアメリカに見せたかった」からだという。
小島なつきさん 我らがチーム国沢の、アイドルにして、マネージャーにして、レースのコドラを務める。本職は名古屋の自動車部品メーカーに勤めるOLさん。小さくて華奢だけど、元気で明るくて英語も堪能。彼女の英語力にチーム全員が期間中ずっと助けられる。今回コドラ(ナビゲーターともいう)として参加するが、当初は彼女曰く「コドラって何をするんですか?」という事前知識だったそうな。
そして私 志願して参加したカメラマン兼何でも屋。よくもまあ採用してくれたものだと今でも驚きます。国沢さんのグレートレース参加をwebで知り、ならば連れて行ってくださいと申し出たら、本当になってしまった。手は挙げてみるもの。
国沢さん運転のレンタカーでホテルに向かう。「この車、案外悪くないね」。そう言った車はヒュンダイ。確かに言われてみれば、乗り心地もまあまあ。普通に乗っていれば不満もそれほど感じないかも。しかし問題は車種そのもの。というのもリクエストとまるで違うものがあてがわれており、我々の混乱の種の一つとなる。この日は到着が遅かったこともあり、挨拶程度で解散、就寝。グレートレースが始まった。
ヒュンダイを交換してもらうため、朝からホテル近くのレンタカーの営業所へ。窓口でも、本部に連絡して話は伝わっているものの現場で全く話が進展しない。「ここには希望の車種ないし、オレにはどうにもできないよ」担当した店長(ここには一人だけ?)の話を要約するとこんな感じ。
そもそものリクエストは、スバルアウトバック。アップグレード無償って話なら聞くけど、グレードダウンして返金なしというありえないでしょ。空港の営業所なら希望の車があるかもしれないということで、わざわざ移動して確認するも、手持ちはヤリスだけという。日本名ヴィッツ。散々な目とはこのこと。何時間無駄にしたことか。仕方ないので必要なもの買い出ししてホテルに戻る。
ホテルの立体駐車場で、スバル360国沢号と初対面。ご存知てんとう虫。子供の頃に古い車だと思っていたのだから、私自身が物心ついた頃には、すでに多くのスバル360は退役していたと思う。この車はヤングSSの皮を着たノーマル車らしい。なにしろ年月が経っているので、詳細不明なのは如何ともし難い。
国沢号には、すでにオフィシャルスポンサーのデカールが貼り付けてあった。そこにプライベートのデカールを自分たちで貼り付ける。その後車検場に移動。堂々たる車格のフルサイズのアメリカ車たちの列にスバル360も続く。この車列の中ではスバルの小ささはひときわだ。
車検を通過すれば、今度は公式ゼッケンの貼り付け。このゼッケン貼り職人の手際がなかなか見事だと、国沢さんが関心している。水スプレーをシュシュっとやって、位置を決めたらヘラでささっと撫でて出来上がり。これでゼッケン16番の国沢号が完成した。同じ場所で車検を受けて、無事通過。出走への準備が整った。
詳しいスケジュールを知らない我々は、この日の朝から大きなミスをやらかしていた。初参加者には必須の、ルーキーオリエンテーションが行われていたのだ。午前中から我々が無駄な労力を費やす間に、ルーキー向けにレギュレーションなどがレクチャーされていたのだった。知らなければ参加しようもないのが現実。
途方にくれた頃に、救済の手が差し伸べられた。初参加のチームが、手違いでルーキーオリエンテーションに参加し損ねたことが運営に伝わり、コドラのなつきさんに補習が行われることになった。そこで最低限の知識が授けられたのだった。
補習をしてくれたのは、こう言っちゃ何だが優しいおばさん、というかお母様。そこで我々は、グレートレースというものが、現役を退いた車を愛する多くの先輩方の、ボランティアにより成り立っているものだと知る。
この日夜、サンコーワークス喜多見さん、カートップ三澤氏、ベストカー飯嶋氏が合流。喜多見さん。国沢さんが絶賛するところの「ネオチューン」で人気のワンコーワークスの代表。自らラリーストであり、超凄腕のメカニックでもあり実業家。なんなら車一台作っちゃいそうなスーパーマン。三澤氏と飯島氏。ご存知有名自動車雑誌の編集者。お二人同年齢と聞きました。
スタート前日。この日はトロフィーランというものが行われる。本番を前にした、ウォームアップ走行である。スバル360国沢号には国沢さんとなつきさんが乗り込み、参加車両と同行が許されたメディアカーには、三澤氏と飯嶋氏が続く。
一方喜多見さんと私は買い出し隊。サポート車両は国沢号とは同行できない。それ以前に喜多見さんの愛用の工具が届いていない。手元にあるのは借り物の、数だけ揃ったセット工具のみ。必要なものはまだまだ足りないための買い出しだ。
参加車両は本番を前にした練習走行。マクレニーという町に行き、またジャクソンビルに戻るという行程。一方買い出し隊は巨大ショッピングセンターのウォルマートへ。買い物前にメシでも食いましょうと、適当な店を見つけて、愛想のいいお姉さんに注文したところで電話が鳴った。
「止まりました」ウォームアップで!?何があった。電話越しの情報では、燃料系のトラブルらしいとのこと。なぜか流れ悪いようで、走っては止まりを繰り返し、安全を考え諦めたとのこと。高速US10号線脇のマクドナルドで待っているらしい。
こちらは喜多見さんと緊急会議。「注文来て無いけど店出て向かうか?」「いや、向こうはマクドナルドです。何か食ってるはずです」腹を減らせたカメラマンの意見を通す。そして正解。喜多見さんと私の、アメリカでの一番のランチになったのでした。バッファローワイルドウイングス、うまかったです。喜多見さん曰く、「近くにあったら毎日行っちゃうよ」激しく同意します。日本上陸熱望。
急ぎランチを押し込み、指定のマクドナルドに向かう。運転は当然喜多見さん。このグレートレースではメカニックとして招集されたものの、「俺はメカニックじゃなくてラリーストだ」と自ら言う通り、運転は横に乗ってて感動もの。上手な人の運転って、なぜか速度を感じさせない。
インターステイツを95号、295号、10号と乗り継ぎ、マクドナルドに到着する。国沢号の横に車を止めると、店から皆が出て来た。動いては止まることを繰り返したというスバル360国沢号。動いて止まるのは、簡単なところでは燃料の供給不足のときの症状。その原因を喜多見さんはあらゆる方向から探っていくが、なかなか見つからない。
スバル360という車は古い。手探りで車を作っていた時代の車だ。設計や製造していたのは、おそらく飛行機の方が得意であったであろう皆様の作品。だからこそ妥協がない。でも車の構造のセオリーも知らない人たちの作品だったのかもしれない。
この日はウォームアップだったので、あまり深刻にならずに、ゆっくりとでもいいからジャクソンビルに戻ろうということになった。高速道路の移動だと危険だという判断から、並走する国道でジャクソンビルを目指す。ここでも何度も止まってしまった。
その道すがらオートゾーンというカーショップを見つけた。のち何度も部品調達で助けられる全米展開のショップだ。皆は興味津々に入店するが、私は外で車の番。米国人にとって注目引く車なので、念のための措置。すると店の客の質問ぜめにあってしまう。
息子か孫かと一緒に来たグランマ。「あら小さくて可愛い車ね。どこのなの?」「スバルですよ。日本の」「スバルなら知ってるわ」「グレートレースってのに出てます」「頑張ってね」。ごめんなさい、写真撮り損ねました。ダメなカメラマンなのである。そうこうしてると若い地元の兄ちゃんが寄った来た。
「なんだこの車?」「スバルって知ってるかい?そのスバルが最初に作った車なんだ」「そうだよな。これスバルのマークだもんな」「写真撮っていいかい?」「もちろんさ!」ナイスガイだしノリもいい。バスプロショップのシャツ着てるってことは釣り人か。今度会えたなら一緒に釣りしようぜ。
このショップで、喜多見さんはパーツ類をいろいろ抱えて出て来た。使えそうなものを買えたらしい。外で地元の人々と話してた私は、もちろん詳細は知りません。その後路上での応急処置が効いたのか、国沢号はなんとか本番スタート地点のジャクソンビルに戻る。
這々の体で宿泊地に戻った国沢号。やっと燃料供給不足の理由が判明した。室内から操作する、燃料コック操作レバーのリンクが変形していた。船に積む際に、誰かが力任せに操作した結果らしい。手加減できない人を、ベアハンドという。熊並みってことですね。これを喜多見さんは手探りで修復した。
さらに燃料経路も改修。この車、ご丁寧にも燃料コックとフィルターが幾重にも付いていた。意図は知らねど後付けのものもある。それを配管引き直し、燃料の流れをシンプルかつ確実にする。コックとフィルターは一つあれば十分でしょう。
修復後、喜多見さんと飯島氏が試走に出かける。飯島氏が伝えるところによると、「今までで一番調子が良くなったみたいです!」明日からの快走を確信した我々は、宿近くのフーターズで自主前夜祭に盛り上がったのでした。
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