もう少しキビしいヒョウロンを続けます(10日)

時代の変化や場所で価値観は変わる。好例が携帯電話の通話だ。始めて携帯電話を持ったのは1987年だったけれど、電車の中やホテルのレストランで通話しても全く問題なかった。むしろ「カッコいいね!」とさえ思ってくれたほど。されど今や「うるさいっ!」である。ただ海外に行くと全く問題なかったりして。時間とローカルルールですね。

自動車の乗り方も同じ。ムカシは気分をスッキリさせるため「スポーツカーで飛ばす」のが普通だった。1960年代は街中でホイールスピンさせると「カッコいい!」と言われたそうな。確かにホイールスピンさせられるほどの高性能車は少なかったです。もはやこういった運転は出来ない。私は試乗会に行っても地味な運転しかしなくなった。

一方、スポーツモデルは依然として人気だし、なくならない。そんなことから私は数年前から「競技に出る以外、正義じゃなくなった」と書いている。絶対的な性能を楽しみたいなら、サーキットに行くか競技車両に仕立てて全開で楽しむしかない。そういった意味からすれば電気自動車レースなど素晴らしいと思う。存分に限界走行を楽しめます。

自動車のヒョウロンも同じかもしれない。私は正直に書くけれど、果たして正当な評価を望んでいるヒトはいるのだろうか、と最近思う。先日、学生さん達と座談したが「知識を得よう」という意欲をあまり持っていないようだ。世の中、知らなければ幸せである。ダメなクルマだって良いクルマを知らなければ気にならない。そんなヒトに厳しい評価など不要。

広報と宣伝の区別を付けていない自動車メーカーも増えてきた。レクサスなどメディアと出入り業者が同列だとか。まぁ見下されてしまえば厳しい評価など出来ないだろう。負けたら最後。オシマイですね。幸い、広報車以外のクルマを乗る機会も少なくない。試乗会のタイミングより遅くなってしまうかもしれないが、ダメならキッチリと書けばいい。

もちろん、どんなイヤな対応をするメーカーやインポーターだって良いクルマなら瞬時も迷わず「良い!」と書く。最近では新型ベンツEクラスに乗ってどんな自分がどんな評価を下すか楽しみだったりして。素晴らしいクルマならカー・オブ・ザ・イヤーだって躊躇すること無く10点を入れます。

おそらく免許取り立てのヒトなら、どんなクルマに乗っても「楽しい!」だと思う。ただ「どうでも良いヒト」ばかりの世の中になったら、国際競争力など無くなる。どこでも携帯電話出来る国や、けっこう元気よくクルマを走らせてOKの国もあります。上昇志向の国だって少なくない。そんな国にはぬるま湯の中で作られたクルマは通用しないだろう。

ということを考えると何人か「正直なヒョウロンカ」が居たってイイ。美味しい仕事は無くなるし、モンク言われるのを承知で試乗車を貸してくれるメーカーも減るだろうが、とりあえず今日明日なら何とかなる。「違いの分かるヒト」のため、正直なジジイでいようと思う。幸い私には素晴らしいサポーターもいるし、自分の発言の場もある。喰えなくなるまで頑張ります。

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