木全巌さん
三菱自動車のラリー活動に尽力した木全巌さんが永眠された。三菱自動車にとって素晴らしいラリーの伝道師だったと思う。半年くらい前にお会いした時は元気一杯で「国沢さん。古いラリーの写真がたくさんあるけれど、何か使い道があるかな」と聞かれ、この話をベストカーの勝股兄に伝えた。
すると勝股兄もポンと手を打って「そうか! 面白い!」でベストカーの『歴史の証人』シリーズ第一回になった。というか勝股兄が木全さんために始めた連載と言って良かろう。結果的に木全さんのコメントを引き出した最期の企画になった次第。本当によかったと思う。ベストカー3月26日号から御一読いただきたく。
木全さんは飄々とした性格が外国人から一目置かれ、すでに亡くなったスバルの久世さんと違ったカタチでWRC界の名士だった。もちろん海外のラリーファンの間でも超有名。どこのラリーに行ってもサインをせがまれる木全さんの姿が印象に残る。アンドリュー・コーワンとのコンビも決まってました。
一番最初に木全さんの名前を見たのは30年以上前のこと。当然ながら我が国を代表するトップドライバーでありました。雑誌に出ている名前がルビ無しの漢字だったこともあり、仲間内では「キゼンガン」と呼んでました。凄い名前だな、と思っていた次第。当時はやがて親しく話をさせていただくことになるなんて思わなかった。
パースで行われた1996年のオーストラリアラリーで、木曜日に木全さんが手招きしているので行くとマキネンが。丁寧に私のことを紹介してくれ、いろんな話を聞くことが出来た。このラリーでマキネンは初めてのドライバーズチャンピオンを決めたのだけれど、おめでとうを言いに行ったらアタマからシャンパン掛けられましたね。
日本のラリー界は素晴らしい人材を失った。かくなる上は福井大兄に最低100歳まで頑張ってもらい、その間に何とか次の世代の人を育てるしかない。最期にお会いした時の木全さんも「俺は三菱自動車で次の世代を育てられなかったのが唯一の心残りだよ」と言ってました。私は増岡さんに期待してますよ。
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以前国沢さんが、BS NHKでWRC解説をされていらっしゃったころ、木全さんも時々出演されておられ楽しく拝見させていいただいておりました。このほかにも福井さん久世さん飯島さんなど出演されていました。小平ケイコアネットさんのレポートもよかったです。
ベストカーの「歴史の証人」では木全さん 福井さんの書かれた文面を読んで、日本のラリーの歴史とお二人の生き方、考え方非常に参考になったのと同時にお元気でいらっしゃると思っていたのですが、訃報をきいてびっくりです。
本棚にあった木全さんの「雪道氷結路のドライビングテクニック」(昭和54年初版)を改めて読んでみようと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
三菱におけるラリーの位置づけや取組の歴史があって
消費者の元に安全で楽しいクルマが届けられていたので
すね!
NHKの地上の星で特集して欲しかったです
http://www.ralliart.co.jp/column/
今後の三菱復活を期待したいです
スバルも....
木全さん。
三菱のRALLIARTのページの回顧録を
改めて読んでいます。
日本のラリーに何らかの形で関わっておられる皆さん。
師匠にとっても大きな方を失いました。