車屋四六の四方山話。始めての洋行その2
日本ベストドライバーズコンテスト=通称ベスドラに優勝して、パンナムの世界一周航空券を手にしてルンルンの私は、ローマ・パリ・ロンドンのグッドイヤーの公式訪問を終えたら、ヨーロッパでの一ヶ月の旅を計画した。
仕方なく闇ドルを買うことにして、出かけたのが江東区枝川町。そこは韓国人居住地「出てこない人もいるから入るな」という交番の忠告を無視して、紹介された業者の元へ。
当時闇ドル相場は400~450円/$だったが、紹介者がいたので400円で$300を調達できた。ロンドンまで同行する大橋浩グッドイヤー宣伝部長が業務渡航なので$2000の枠があり、$1000を羽田両替してもった。公式で両替できる$500は、取引先の三井銀行日本橋支店で トラベラーズチェックに。
最後に持ち合わせた日本円を羽田出国で有金を見せると“1万3600円とパスポートにスタンプが押された…で、シェル石油の賞金20万円の意味がわかった。$500=18万円が旅費、残る2万円は帰国時の宿泊交通費だったのだ。
苦労の$3000をフトコロに、羽田を出発したのは、昭和41年=1966年11月だった…もちろん飛行機はパンナムで、新鋭ボーイング707型・120人乗りだった。
B707 写真/中国国際航空
米国で登場したばかりのJET旅客機は未だ航続距離が短いので、羽田→香港→バンコク→デリー→テヘラン→ベイルート、転々と着陸しながら給油をくりかへし、終着のローマ空港に着いたら、羽田を出発してから27時間が経っていた。
写真:ベイルート空港
米ソ冷戦中なので、シベリヤ上空は飛べない。もし飛べたとしても707の航続距離では無理だったろう。デリーで給油中、信じられない光景を見た…乗客の半分以上が機内から出ると、インド人の作業員が「これから機内の清掃をします」。そのあと、身なりの貧しいインド人が数人乗込んできた
彼らは、しゃがんだままで、床の清掃&ゴミをひろい、けっして顔をあげずに、降りていった。初めて見るフシギな光景だった。
写真:テヘラン空港着陸前と空港
その謎は、テヘランで隣席に座ったインド人の説明で解けた「顔をあげて目が合ったら、立ち上がり客を上から見たら、そして客がクレームを付けたら、即クビになる」。身分格差・中学で習った、これがカースト制度なのだと学習した。朝鮮王朝時代の両班=ヤンバンと良民。奴隷=ヌヒなどの制度に似たものだろう。
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