車屋四六の四方山話/ついに正規輸入されなかったBMW Z1の話

チャキチャキの江戸っ子・浅草の佐藤健司こと通称ケン坊は、日本のモータースポーツでは忘れられぬ人物だ。昭和30年創立のSCCJ=日本スポーツカークラブ。またAJAJ=日本自動車ジャーナリスト協会や、RJC=日本自動車研究者ジャーナリスト会議などの創立メンバーで、JAFではスポーツ関連を主導し、ISCC=いすゞスポーツカークラブのリーダーでもあった。

サングラスのケン坊とBMW Z1/後方エスティマの広報試乗車

ケン坊はドイツに行って、1989年のフランクフルト自動車ショーで注目を浴びたBMW Z1ロードスターを買って、個人輸入をした。まあ彼が貿易商だから、輸入作業がきできたのだろうが、走りだしたのが1990年だから、街を走れば注目の的だった。ちなみに1989年=昭和64年は昭和天皇崩御でたった七日、1月7日から平成になった。手塚治虫や美空ひばりが亡くなった年でもある。

写真は運転席がケン坊だが、足立区の仮ナンバーだから未だ登録前。後方にエスティマがあるから、90年6月箱根ハイランドホテルで開催のトヨタの報道試乗会場だ。

BMWのZ1は現在三代目のZ4に進化している。Z3、Z4共に量産型で価格が安いが、Z1は1日6台というハンドメイド作品らしく、Zシリーズの元祖とはいえ別物だから高額で、日本では並行輸入も含めて数少なく稀少価値のあるスポーツカーだった。総生産量8万台。ちなみにBMW日本での正規輸入はない。

登録してナンバーが付いたケン坊のZ1とコクピット

諸元は、全長3921mm×全幅1690mm。車重1250kg。2座席。直列6気筒OHCの2494ccで170馬力/22.6kg-m。5MT。FR。前ストラット/後トレーリングアーム・コイルスプリング。四輪Vディスクブレーキ。タイヤ225/45VR16。最高速度225粁。ゼロ100粁7.9秒だった。

BMW名物シルキーシックス=直6搭載のエンジンルーム

当時としてはSF的未来姿のZ1の外皮はプラスチックで、特許の強剛性床構造に被されていた。興味ある最大特徴のドアは、開閉スイッチONでガラスが下がる。下がったら更にONでドアも下がり、跨いで坐るという仕掛けだった。

右はZ3。大磯の試乗会

幌は手作業で綺麗にボディーに畳み込まれ、クロ-ズド時のCd値0.36は幌型ロードスターとしては優れものだった。低いロングノーズ内に収まるエンジンはフロントアクスルより手前だから、結果前後荷重配分49:51とミドシップカー並の理想的配分で、身軽な回頭と優れた操安性を生み出していた。

Z3、大磯でのBMW報道試乗会で

当日はエスティマのあと、ヤナセ主催ピアッツァネロの報道試乗会があり、箱根観光ホテルまでハンドルを握ったが、予想外に乗り心地が良かった。が、軽すぎるパワーステは、クイックな回頭とは裏腹に横Gが来るまでに一瞬の間があり、違和感を感じたのを憶えている。

下げたドアから路面の物が拾えそうな着座姿勢のオープンエアモータリングは、一種格別と感じる中、ケン坊が大好だったハワイアン音楽のテープがガンガン鳴っていたのも懐かしいが、今では彼のベランメーが聴けなくなったのが寂しいかぎりだ。<車屋四六>

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