車屋四六の四方山話/ユーノスコスモの思い出

日本経済がバブルの頂点寸前のころマツダは日本の一流メーカーを目標に、トヨタに並ぶ販売5チャンネル体勢を作った。マツダ・アンフィニ・オートザム・オートラマ・ユーノス。そのユーノスブランドのフラグシップで登場したのが、ユーノスコスモだった。コスモとしては四代目だった。

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もっとも四代目が登場した1990年は、永遠に膨らみ続けると思っていたバブルが弾けてたころだから、運が悪かったといえよう。それはそれとして、マツダのデザイン力には定評があり、その力作だからコスモの姿は流麗。そしてエンブレムにREの象徴、三角ムスビ型ローターがデザインされていた。

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それというのも、コスモ自慢の一つが3ロータ20B型の搭載だった。3ローターは、毎年チャレンジするルマン24時間レース出場するマツダ757に搭載のREだった。マツダの念願成就は1991年。が、日本初ルマン優勝に輝いた787B型は、4ローターに成長していた。

20Bは654ccx3で280馬力。シーケンシャルターボ加給で、低回転でもトルクは41kg-m/3600回転と強力。が、マツダの目標は、V型12気筒に匹敵する滑らかさを求めたのである。

全長4815x全幅1795㎜。1305㎜という低い車高が美しいシルエットを生みだしていた。車重1600kg・電子制御四速AT・四輪通風型ディスクブレーキ・四輪コイルスプリング・前輪Wウイッシュボーン+後輪マルチリンク。贅を尽くした装備で仕上げられていた。

インテリアだって、トリムのウッドはイタリアに特注し、豪華な革のバケットシート。斬新だったのは、エアコンのコントールをNAV画面ですることだった…今では当たり前の操作だが、この後、日本中の高級車から続々とタッチ式になっていったのである。

マツダの経験と知恵を盛りこんだ贅沢なユーノスコスモだったが、バブルが弾けるという不運と相まってその後は人気が出ず、販売は低迷した。1995年に生産終了。1996年、在庫がなくなり、後継モデルがないままに消えていった。<車屋四六のブログ

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2 Responses to “車屋四六の四方山話/ユーノスコスモの思い出”

  1. z151 サンバー愛好者 より:

    ユーノス・コスモかっこよかったですね。
    リッター3kmとも云われる燃費と純粋なロータリークーペ(2ドア)が時代に合わなかった「幻の名車」でしょうね。
    特に赤いコスモが印象に残っていて、こんなクルマが国産車で出て来るなんて…と感動しました。

    でもビジネスで考えれば完全に「失敗」。
    時代が廻れば再評価されるのかと思えば、ついぞ挽回のチャンスなく。
    当時乗っていたランクル60(角目ガソリンMT・GX)もリッター2kmくらいだったので、全然形はちがうけれどシンパシーはありました(笑)。

  2. トヨタ車ユーザー より:

    13B・20Bターボは、ガソリンメーターが減っていくのが見える!と中学生のころ聞いていました。実際にはガソリンがGで寄ってしまうのでしょうが。
    このコスモに話を合わせるならアンフィニRX-7でしょうが、サバンナ・RX-7カブリオレもかっこよかった。屋根を切り落として作ったのに、幌を開けても閉じてもかっこよかった(開けても閉じてもダメだったのはリーザ・スパイダー)。RX-8も嫌いではないです。
    いまはクーペが少ないので、コスモやアルシオーネSVXをみると「おお!」と思います。バブルだ何だは関係なく、あのころの車はカッコよかったです。
    どなたか、V12エンジンの計画のあったアマティブランドについても教えてほしいです。

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