車屋四六の四方山話/昔はトロばかりかマグロも食べなかった、という話は知っていたけれど‥‥

縄文時代の遺跡から骨、平安時代の書物にも。日本人とマグロは長い付きあいのようだが、江戸時代には嫌われものだった。理由は単純。江戸前の海では捕れず、外房からでは傷みが早いマグロ=鮪は嫌われていたのである。

「猫またぎ」と呼ばれ、下魚とさげすまれ、塩漬け・味噌漬けでは旨くない、というわけで江戸時代初期までは嫌われていたが、江戸中期になると、ようそうが一変する。銚子で醬油の醸造が始まり、普及したからだ。

大トロを初めて握った吉野鮨

猫またぎが、醬油漬けなら、旨いまま保存できると判ったのだ。で、それを鮨屋が握った。江戸時代の鮨屋は、屋台営業で、大衆の食べものだった。いずれにしても、ズケ鮪が生まれ、鮪人気到来で、関東を中心に鮨の人気が広まった。やがて鮨屋は、明治になると屋台から店舗を構えるようになるが、江戸前の新鮮魚貝に混ざって、鮪は人気者だった。

が、その人気は、赤身であって、トロは相かわらず嫌われ捨てられていた。もっとも、当時日本人の味の傾向はあっさり系で、トロは赤身より傷みが早いことと共に、脂が多く柔らかで、味・食感でも嫌われていたのである。

吉野鮨。昼の握り3300円

日本ダットサン倶楽部の飯田君は築地市場の鮪問屋の息子だった。昭和30年代後半だったろうか、遊びに行ったらオヤジさんが「ちかごろは嬉しいネ~ッ捨てていたトロがイイ値で売れるんだから」と笑っていた。

江戸から明治このかた捨てていたトロが、急に売れだしたのにはワケがある。捕れたら直ぐに急速冷凍する遠洋漁業船。また近海で捕れた鮪を氷温で運べる輸送技術など、運搬技術の革新が確立されからである。

売れるとなれば、大トロは稀少部位だから、値段も高くなる。そんな大トロで勝負を賭けたのが、日本橋の老舗鮨屋・吉野鮨だった。明治12年=1879年創業で、その五代目が、初めて大トロを握ったのだ。

大トロの握りを試食した常連は「これは旨い」と喜んだそうだ。で、名前を付けようとなった。大トロの姿や食感から「ダンダラ」とか「アブ」などと候補ががでたようだが、虫みたいだと決まらなかった。で、客の一人が「口の中でトロけるからトロでは」のヒト言で、大トロの名が生まれたという。

吉野鮨は何度か行ったが、何時も昼の握りで、上の写真は3300円。大トロと思ったが、いくら旨いと言っても、一人前六貫で5500円!別に握りを頼むと福沢諭吉が飛んでいくから、昼メシには高すぎる。また、脂タップリでしつこい大トロ六個は、老人では飽きてしまうだろう。

大トロを初めて握った吉野鮨。6貫5500円

とあきらめていてたら「食べたよ」とメイルで写真が届いた。食いしん坊仲間の松下宏さんからだった。見るからにヨダレが垂れそうだ。

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