自分に出来ること

日頃、様々な示唆をいただいている方から以下のようなコメントを頂いた。私も100%同意します。

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やる事をやりましょう。 誰もがボランティアで被災地には行けません。 何だかそれが出来ない自分が情けない様な気になって自ら卑下する事はありません。 夫々、日々生活しているんだし、仕事もしているんだし。今、出来る事はやる事をやる、です。 やれる事をではなく、日々やっている事を、です。

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「自粛などぜずドンドン消費しよう! その方が復興の役に立つ」という前向きな人は、そのまま頑張って欲しい。されど「お手伝い出来ない自分がもどかしい」と考えるやさしい人だって少なくないだろう。被災地の状況やニュースを見ると「助けてあげたい」と思ってしまうワケですね。

私はどう考えるか? 率直に言って現時点では平時と同じようなドンチャン騒ぎを見たくない。以前も書いた通り日本には「喪に服す」という亡くなった方のご冥福を祈る時間を持つという文化がある。神道なら50日。仏教だと49日。逆に、これを過ぎれば悲しみも和らいでいく、という先人の知恵と言ってもよかろう。

必要とされるお手伝いも、震災から4週間経過し変わり始めている。被災直後なら「何でもイイからとにかく物資を!」。今や「場所や状況によってニーズは全く違う」と考えるべきだ。大きな避難所に物資を持っていっても、よほど珍しいモノじゃない限りアッサリ「足りてます」と断られる。

一方、依然として物資不足に悩まされている民間の避難所も(震災から逃れたものの、まだ停電/断水中の集落などのグループを含む。本日夜の地震による影響もある)多い。ただこれも熱意のある人達によって解消されつつある。つまり「助けてあげたい」と思っても、なかなか難しい状況になってきた。

じゃボランティアが不要かと言えば、そんなことは絶対ない。トモダチ作戦を見て、誰もが熱い気持ちになったと思う。助けてくれる人を見ると、なぜか心強くなります。また、お金で雇った人と作業をするより、やさしい気持ちから出来ているボランティアと作業した方が、前向きな気持ちになる。

一方、政府や役人はボランティアを押しかけ無料労働者だと考えている傾向。実際、いろんな分野で「やらせて欲しい」と言ってくるボランティア団体が驚くほど多い。ボランティアを行う、という行為は自分を凄くカッコ良く見せてくれるからだ。このあたりは非常に難しい判断です。

また、ボランティアが復興の段階に入った現地の人達の仕事を奪っちゃイケナイと私は思う。だからこそ自衛隊の建機は民間業者が入ってくるや撤収を始めた。後片付けも地元の業者に頼むべきだ。人の移動はボランティア企業に頼らず、仕事がなくなった地元の観光バスを有料で徴用したらいい。

民間の個人ボランティアは広く受け入れ、宿泊施設&食事の提供を政府や県が地元の方に費用を支払ってやってもらおう。そのくらいの出費はアゴアシ付き日当1万円の業者に頼むことを考えれば安い。前述の通り「ボランティアで来た」と言うだけで被災した人達の気持ちを和らげてくれる。

シロウトのボランティアはプロの3分の1の作業効率しかなくたって、十分役立つ。もちろんオタンコな心得のボランティアもいるだろうけれど、そういった人達はお引き取り願えばいいだけ。とにかく地元にお金を落とすような復興手段を構築し、ボランティアはそこを配慮しなければいけません。

ちなみに中越地震の無料タクシーを終了した理由は、プロのタクシーが姿を見せたからです。といった交通整理を行うのが辻本清美ボランティア担当首相補佐官の仕事です。なのに何をやっているか全く見えてこない。もしヤル気がないのなら、可及的速やかに他の人を任命しなくちゃアカンです。

そうそう。『避難所からショッピングセンターやお風呂のある施設までマイクロバスでの送迎しましょうか』といくつかの避難所に提案したが、いずれも「安全性を担保出来ない」とか「避難所にクルマはたくさんある」と断られました。ショッピングセンター、良い気晴らしになると思うのに。

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1 Responses to “自分に出来ること”

  1. もん より:

    http://www.saigaishien.jp/
    こんなのを見つけたので貼っておきます。

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