もうすぐ東日本大地震の日です。パプリカを聞く度に泣きます

子供の命を守るのは大人である。東日本大震災の時、たくさんの子供が津波にのみ込まれた。大半は大人の判断ミスである。避難出来たのに教師が大切な時間をムダに使い小学校ごと津波被害にあったり、幼稚園バスの迷走により被災したり。自分の子供や孫だと考えたら、もうどうしていいか解らない。決定的だったのは『パプリカ』という子供達が大好きな歌の詩を意識した後です。

知り合いから「じっくり読んだら解ると思います」。その前にネットで調べると、亡くなった子供達を考えて作った歌詞だとある。下にリンクしてみたので読んで頂きたく。この詩を読んだだけで辛抱できなくなりました。被災後、大きな被害を出した気仙沼や歌津、南三陸町、そして大川小学校があった石巻で見た現実を思い出す。以後、パプリカを聞く度にあかんです。

パプリカの歌詞

子供は未来だと思う。無限の可能性を持つ。子供が虐待されたり、お腹空いていたりすると聞いたら、もう悲しくて仕方ない。中学校のPTA会長を引き受けた時、とにかく保護者の代表になって子供達の面倒をみようと心に決めたことを思い出す。新型コロナ問題で子供は大きな社会の宿題になってしまっているけれど、本来ならこんな時こそ教育関係者の出番かと。

歌詞をイメージして聞いてみて下さい

2011年の3月11日の15時前、私は自宅にいた。最初のグラリで比較的大きい地震だと感じたが、10秒くらいして本格的な揺れに。家は鉄骨構造のため倒れる心配こそなかったけれど派手に揺れまくる。最初に考えたのは小山に出張していた長女と、栃木県で仕事している長男。幸いすぐ無事が確認出来た。続いて当時叔母の敗戦処理をやっていた中野のうなぎ屋だ。

倒壊でもしたら炭を使っているため火事を出す。連絡すると「揺れて隣の建物にあたったけれど大きな被害ありませんでした」。クルマは渋滞するだろうと読んでバイクで中野に行くと、すでにJRなど止まっていて大騒ぎになっていた。以後は人によって違うと思う。原発の事故などで酷い目に遭った人もいることだろう。こういった被災で人類はいろいろ学ばなくちゃならない。

けれど新型コロナ問題をみると、あまり進歩していない気がしてならない。とにかく国の動きや対応が遅い上、的確じゃありません。私は以前から「国なんかあてにならない」と思っていたが、2011年以後、自分で自分を守ることを考えるようになった。ただ問題は子供達です。今の状況、さらに悪くなり、長く続く可能性も大きい。可哀想な子供を出さないよう、教育関係者に期待したい。

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