サファリラリーで勝田選手3位表彰台! 日本車が世界で認知されたキッカケはF1じゃなくサファリです

日本車が世界で認知されるキッカケは1964年のホンダF1だと認識している人は多いだろうけれど、実は日産が1963年からサファリラリーへのチャレンジを開始している。ブルーバード410でのクラス優勝などを経て1970年には510で総合優勝にクラス優勝、チーム優勝と完全制覇! この時代の活躍が映画『栄光への5000km』として残っている。

蛇足ながら栄光への5000kmは1969年のサファリラリーで撮影された。撮影車は当初文字通り撮影用だったため走る予定なかったものの急遽エントリー。最後尾スタートだったのに総合5位に入ったほど510は強かった。1971年にはフェアレディ240Zで出場して連覇! 日産の頑張りに触発された三菱自動車はランサー1600GSRでサファリに出場。1974年と1976年に総合優勝した。

当時サファリラリーで優勝するということは「丈夫なクルマ」の代名詞になったほど。実際、丈夫なクルマを作っていたんだと思う。510とフェアレディZはアメリカでも大ヒットする。排気ガス規制と燃費の良さでライバルを圧倒した1973年のシビックまで、日本車のイメージは日産が作ってきたと言って良い。当時、サファリラリーの活躍は日本でも大いに宣伝された。

写真/DirtFish

さて! 週末に開催されたサファリラリーでトヨタが1~4位を独占した! サファリラリーは2002年に「あまりに危険」(競技区間を閉鎖していない状態で競ったため数々のトラブルが起きた)ということでWRCから脱落。現代風の閉鎖ラリーとして復活したのは昨年ということもあり、以前のサファリラリーと全く違う内容になっている。とはいえ難易度は全く変わらない。

サファリラリーで勝てるのは「強いクルマ」である! 1993年にトヨタが1~4位を独占した時も、セリカは強いクルマだった。サファリラリーといえば岩瀬さん。13回出場し、1993年はTTEからセリカで参戦し見事4位に入った! 今年は勝田選手が初日からTOPクラスの素晴らしい走りを見せ昨年の2位に続き3位表彰台という凄いリザルトを残した! 

岩瀬さんは『オートスポーツIWASE』代表です

上はWRC50周年ガラディナーの時に展示されていた岩瀬さんのセリカ。1993年に4位となった車両とのこと。当時の日本人がサファリラリーに出るのはたいへんな苦労だったと思う。岩瀬さんの活躍が藤本さんの育成に繋がり、1995年のサファリラリー優勝(この年はWRCではなくFIA2リッター選手権)として結実する。藤本さんのセリカ、昨年レストアされ蘇ってます。

岩瀬さんや藤本さんといった先達がいるから私らWRCを身近に感じるようになった。いや、すでに千の風になったSTIの久世隆一郎さんやラリーアートの木全巌さん、まだまだ矍鑠(かくしゃく)としておられるTTE副社長だった福井敏雄兄などの存在も大きい。今年再び日本でWRCが開催されるけれど、勝田選手の素晴らしい走りを心の中で皆さんと乾杯したいと思う。

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