我が国の場合、石油利権のブレーキで3年は欲しい電気自動車が出てこないと考えてイイ
電気自動車と燃料電池車の普及にブレーキを掛けているのは石油利権だろうということが想像出来るようになった。客観的に考えてみたらエネルギーコストでお話にならない。電気を1kWh作るのに再生可能エネルギーなら6~7円。これでクルマを6km走らせられる。ガソリンの原価6~7円分(100cc)だとプリウスすら2.5kmしか走れない。電池も安くなってきた。
余った電気から作り、電気と異なり貯めたり運べたりする水素だって安価。エネオスのWebに「ガソリン1L(約750g)と同じエネルギーを得るために必要な水素は1m3(約90g)です」とある。ガソリン1Lの原価を60円とすれば、7円の電気使って作る水素は90gで40円程度。800気圧にしたって60円以下で済む。すでに中国は余った電気から水素を作るという。
ここから出される「解」は、乗用車のような大きさと使い勝手なら電気自動車。トラックやバスのような大きさと使い勝手だと燃料電池車ということになる。石油利権の無い中国は素直にソチラへ向かえることだろう。二酸化炭素の排出量ゼロは難しいかもしれないが、排出量半減なら今の技術で実現出来る。しかもエネルギーコストだって下がります。
電気自動車のスーパーカーに乗りたいと思わない
石油利権をイメージしつつ電気自動車の普及速度を考えるようにしたらいいと思う。興味深いことに補助金も使い勝手の良い「ブレーキ」になっている。補助金を付けることで自動車メーカーは電気自動車の頒価を高く設定できる。日産ARIYAの120万円値上げを見ればよ~く解ります。自動車メーカーだって電気自動車は儲からないから、本来なら作りたくない。
石油利権からすれば補助金の金額で販売台数のコントロールも可能。補助金減らせば確実に販売台数は減る。東京都のように補助金の大盤振る舞いをしても、持ち家比率が高くないため思ったより普及しない。これまた売れすぎだと考えたら、補助金の減額でブレーキ踏める。少なくとも日本で電池を大量生産するようになるまで、電気自動車は普及しないと考えます。
電気軽商用車も補助金なければ売れない
ただガソリンスタンドが無くなっていく地域では電気自動車の実需が出てくる。石油利権側も過疎地域にスタンドを残す気無し。補助金で食いつないだ後、モハヤコレマデと店じまいする。そこは電気自動車で仕方ないと諦める。ということで日本の電気自動車の普及は、スタンド事情が悪くなった過疎地域の軽自動車からということになると思う。
まとめよう。軽自動車を除き、しばらくの間「欲しいね!」と思える電気自動車が適正な価格で出てくるとは考えにくい。出てくるとすれば中国製の200万円級電気自動車です。石油利権側も「売れないでしょ」とスルーする。燃料電池車は水素スタンドが増えるどころか、既存のエネオスは採算取れないという理由で閉めていく可能性大。
ということを前提に自分のサバイバル戦略を練りましょう。
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2022年の5月にアリアを注文しました。納期は1年以上でしたが、半年ちょっと乗っています。アリアの航続距離で充分な使い方なので、満足度は非常に高いです。特にモーターのドラビリは自分にとって理想形です。自宅は関西電力なので電気代もさほど上がっておらず、経済性も良好です。
航続距離と充電の面で問題ない使い方なら、非常に満足度の高いクルマだと思いますが、こんなに高くなると普及は遠いですね。まぁ自分は運良く値上げ前に買えたのて、満喫させてもらおうと思います。リセールは期待しないでおこう…
もしトラが実現した場合、アメリカも同じようにBEVの普及が後ろ倒しになりそうです。アメリカに石油利権があるかどうかは不明ながら日本と似たようにBEV/FCEVの普及が遅れていくのでしょうか。
つなぎの技術とみられていたハイブリッドでガソリン代を節約しつつ…まあ、製造過程も入れればBEVもHEVも環境負荷はどっこいどっこいという人もいますし。
今日、古びて液晶パネルも白っぽくなって稼働できるかどうかわからない急速充電器を見てそんなことを思っておりました。
電気自動車と燃料電池車を支えるものとして再生可能エネルギーによる発電がありますが、その普及の部分でやはり電力利権がありそうですね。
山林を破壊してのメガソーラーに風当たりが強いですが、それがそのまま再生可能エネルギーの問題にすり替わって批判されているようですが、そもそも温暖化対策で緑を守らなければならなのに、そこを破壊しての温暖化対策のためのメカソーラーって何って話なのです。それを政策で推し進めているって、わざと「再生可能エネルギーってだめだね。やはり、原子力だよ」って言いたい方たちの思惑が見えているような。
発電という国民生活を支える根幹部分を自分たちが握りたい、民間や個人が発電することを快く思わないってことですね。
でも、それでは私たち自分自身は守れないんですけど…