自動車文化

クルマ好きが減ったと言われる我が国ながら、意外な事に週末毎に多くのクルマやバイクの集まるスポットが出現している。好例は大黒PA。週末に訪れると、まぁ凄いのなんの! ここだけ見た外国人は日本のクルマ文化に驚愕すると思う。なんせ古いアメリカ車からおじさんになった暴走族までいますから。

先週ファミリーラリーで訪れた神奈川県丹沢の駐車場もロータスからトヨタ2000GT、KTMクロスボゥ、グループNのラリーカー(私ですけど)、さらに次々と様々なクルマがやってくる。日記でリンクしている愛さんのブログを見ると、群馬県の草木ダムの『ダムサンデー』も毎週にぎわっているようだ。名車も多い。

これらのイベントに共通するのは「強力な個性」。一昔前の主流だったいわゆる「普通のクルマ好き」でな
く、相当のクルマ好きだということ。しかもこうったマニアックな層は新型車のあまり興味を示してくれず、雑誌も読んでくれません。自分たちの中で完結できてしまうワケ。F1やWRCのファン層も、クルマ好きとは違う。

こうなるとメディアはどうしたらいいんだろう、と思う。自動車メーカーのことをあれこれ批評する前に、このあたりを真剣に考えなくちゃならない時期に差し掛かりました。

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4 Responses to “自動車文化”

  1. ぱんだねこ より:

    いつも楽しく勉強させていただいております。
    私も最近「自分たちの中で完結している」車好きになりつつあります。周りにも自分の車一番!という人多いです。私が一番車好きだったのは免許を取るちょっと前でした。小学生のころ第66号のカーセンサーを穴があくまでみて車の名前を覚え、高校生の時はベストカーなどを読んでいました。
    私の周囲は、皆 免許を取って自分で車を選べるようになり欲望に合う車に会うと、その車について詳しくしらべ、ブランド物の車なら歴史を調べたり、オールドカーに手を出したりするようです。事実E34のM5に乗った時期もありました。
    だから、記事と逆かもしれませんが、車好きがだんだん焦点を絞ってくるのは自然の流れのような気がします。そして、その車を維持するために、あるいは自分が好きな自動車全体を社会に残すためにと、自然に考えが広がってくるのではないかと思います。プリウスに乗って、モータ音を聞いてはエコを考え、エンジン全開の咆哮を聞いては「やっぱり内燃機関だ」と思いをはせます。
    そういった芽を育てるのに乗り物が多くあった多摩テックの閉園を残念に思います。
    しかし、職場では新入社員が来るとまず乗っている車の話になり、車雑誌のまわし読みが始まります。免許を取ってから急に車に目覚め、最終のRX-7を新車であわてて買った友人もいました。都会は公共交通機関がありますが、地方はまだモビリティが必要です。車離れといっても、必要な人にいきわたって落ち着いた状態であって、まだまだその情報や車を必要としている人や、メディアに注目している人は多くいると思います。

  2. ゴン より:

    自分は雑誌を月一ペースで買います。決まった雑誌はなく、面白そうな記事があれば買ってしまいます。
    つまり家での暇つぶし程度です。
    いっその事、ジャンルをそれぞれ担当して雑誌も発売したら分かりやすいような気がします。
    Kカー中心とかエコカー中心とかスポーツカー中心とか。
    車好きはそれぞれ興味はあるけれど、どの雑誌も万人受けを狙っているせいか、記事が物足りなく、すぐ飽きて読み返す事すらないです。
    それから、正直なところ、車雑誌を読んでいる姿がダサいんですよね。
    電車の中では確実に読めません。よっぽどPCの本読んでる方が知的です。
    つまり、表紙のお姉さんはもう止めて欲しい。
    そういう所が時代遅れの象徴な気がします。

  3. あーさん より:

    これからの時代クルマ好きが増える事は無いと思います。
    安い車を大量生産する事を自動車メーカーが考えている限り個性的な車は出てきませんし、自動車の自動化が進み完全な自動運転が可能になれば個性はなくなります。
    また、大都市の若者は自動車を必要としていませんし、趣味も多様化しているのでクルマ好きは減っていくでしょう。
    将来、自分で運転する自動車は、乗馬と同じようにクローズされた場所でしか運転できない時代になるかも知れません。

  4. 真鍋清 より:

    小生、2004年式トヨタヴィッツ1300U-Lと2009年式レクサスIS350の二台を所有し、前者に乗る方が圧倒的に多いですが、どうしてどうしてこの評論家諸氏酷評の「手抜きグルマ」、非常によく走ってドライバーの意思に忠実で走らせる事自体が「カタルシス」を覚える代物なのです。
    真面目に数値本位の評論をすれば、同車は今や時代遅れの低コスト小型車に過ぎません。当然VSCもサイドエアバッグもついておりません。しかしそんな一世代前の型落ちヴィッツは、シンプルな分エンジンの一挙一動を体で味わえ、機械の息吹を五感で味わえるだけに走らせることの活き活き感に富んでおり、日常生活に爽やかさをもたらす寸法です。
    このヴィッツは目下74660km走り、これまでの生涯を乗り手の性質ゆえにハードに走られて来た格好になりますが、人車一体感は捨てがたい上パワーユニットも日増しに活発さを増し、中低速トルクは静電気除去のコード「フューエルバンク・エボII」を取り付けたこともあって購入以来最高です。平均燃費は13.6km/l、6万km台の11.5km/lより二割方向上している上、エンジンへの負荷が大きい(高速では分速2300-2700mで、レーダーが反応しない限り飛ばしている)割には健闘している方だと考えております。
    購入以来、文字通り「街に野山に」あらゆる用途に使い、医療倫理の女性講演者I嬢の講演会に出席するため自宅のある埼玉県志木市から群馬市高崎まで分速2700-3000m!!をキープし、それでいて高速燃費13.5km/lを弾き出し「やったぜヴィッツ!」と快哉を叫び合ったこと、サーキット走行で最高速184.75km/hをべた踏みでマークし、足を離したら徐々にスピードが上がりCVTの最高モード(OD相当)に突入、時速190.68km/h!!!!をマークしてリミッターを効かせたことなど武勇伝に事欠かず、小生の欠かせぬ片腕として肌身離せぬ存在だったSCP13型先代ヴィッツ。さすが昨今は「寄る年波に勝てず」という感じで高回転域のパワーダウンが起きておりますが決して捨てられませんし、12万キロまで付き合う予定です。
    周囲の人間はそんな愛車を指して「そんなポンコツ捨てな」だの「路上の粗大ゴミ」などとさんざん罵倒してくれます。しかし、そうした彼らの罵声を4気筒ロングストローク・エンジン(72×79.7mm)の排気ガスに巻き、「小パワーを使い切る」エネルギッシュな楽しみに快楽の媚薬を見出していこうと思います。これこそ内燃機関の楽しみなのだし、ヒトに若々しいリズムと心の豊かさを与えるファクターなのだから。
    もう一台のレクサスIS350はシルキーで、マセラティクワトロポルテ並の動力性能と二桁燃費の両立ぶりに以前乗っていたメルセデス260Eとは隔世の印象を受けておりますが、確かに0-100km/h=4.9sec!の怪力に感心させられこそすれ、そうした318ps/38.7kgmのパワーを本格的に発揮できる場所がここ日本にない為、どこか宝の持ち腐れというべき「ブカブカの潜水服をまとったような」フィーリングがつきまとい、歯がゆさもないではありません。路面の入力を一発で減衰するサスペンションといい、バランスの取れたVDIMのきき具合と言い、レクサスIS自体は製品として成熟期に入ったことを伺わせます。事実BMW335iのアクティブステアリングの鋭敏さやVWパサートV6らと比べても日本の交通事情の中では遥かに安楽に感じます。ただ人車一体のヒューマンな楽しみという点ではヴィッツの方が「体の一部」という感が強く、ある意味ライトスポーツなのではないでしょうか。
    これからハイブリッド主流の時代に入っていくと思いますが、内燃機関の息吹は排気量の大小を問わずドラマ性をもったリズムのオーケストラにつながるものが感じられますし、若者のクルマ離れを突き止める上では現実的な価格帯のエンジンの鼓動を楽しめ、瞬間ごとの加速やハンドリングのドラマを肌で感じられるライトスポーツの育成も一つの大きな鍵ではないかと思います。幸い、トヨタは次期ヴィッツにも1.5L/160psのターボをクラッチレスマニュアルとともにリリースし、価格も200万を切るまでコストダウン(量産化による)という噂しきりですし、残りはスズキのスイフトスポーツがどう出るかですが、ライトスポーツの世界を広げるべくVW並みの二段階過給とクラッチレスMT(DSGの技術を提携先VWから導入)の採用、平均燃費17-18km/lを両立させ、さらにそうした技術がセダン型の軽(スズキならアルト、ダイハツのミラやエッセ等)にも広まっていくなら非常にエキサイティングな図ではないでしょうか。
    かく言う小生にとっての「ジャイアント・キラー」ヴィッツ1300U-Lは今月半ばに定期点検、落ちた高回転域のパワーがどれだけ復活するか実に楽しみです。

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