3月11日は13年前に東日本大震災が起きた日。能登半島地震の対応を見てると国は教訓を生かせず

私は大きな地震を3回見た。29年前の阪神淡路大地震と、20年前の中越地震。そして13年前の東日本大震災である。阪神淡路の時は物理的に遠かったこともあり自分のクルマ(ランサーターボ)を提供したり、アメリカ取材同行の権利(この時に権利を買ってくれたのが同業の工藤君)をチャリティーオークションしたりして80万円ほどの寄付をするだけに終わった。

中越地震では越後湯沢にスタッドレスタイヤのテストベースを確保していたこともあり、数日間、越後川口まで通いで現地のモビリティを提供した(ミニバン2台と軽トラック1台。スクーター4台)。東日本は不足している資源を運んだ。3回の地震で感じたことは、救援物資を届けることの難しさと、火事場泥棒の多さ。そしてボランティアのあり方です。

残念なことに今年発生した能登半島地震でも過去3回の地震で発生した問題が繰り返された。あれだけ酷い目にあったのに全く反省していない。火事場泥棒、中越地震の時も山古志で観賞用のコイが盗まれるなど多数。当然ながら警察は東日本大震災の時に対応するかと思っていたら、応援を出さず。現地に行くとみるからに怪しいクルマを少なからず見かけたのに。

物資の運搬も同じ。被災直後はボランティア団体が届いた物資を手当たり次第配るから案外上手くいく。けれど自治体が出てくると在庫管理から始まるため、大量に届くと整理時間かかり食料品なんか腐ってしまう。やがて体育館や公共の施設に物質の山が出来、被災者に届かない。大手の宅配業者に頼んじゃえばいいのに「自分の仕事だ」とばかり抱え込む。

素晴らしいことにたくさんのボランティア志願者が出る。被災者からすれば大いに有難いこと。役所はボランティアのキャンプを最優先で立ち上げ、手伝ってもらったいい。ボランティア用の食料は自衛隊や米軍に頼んでヘリで持ってくればいい。道路事情良くなるまでの間です。なのに役所はボランティアを嫌う。遠回しな表現ながら「来るな」です。

今後我が国は一段と流動的な労働人口が減っていく。そんな時、唯一役立つのはボランティアだ。なんたって無償で労働力を提供してくれる。大きな自然災害出たときに真っ先に取り組むべきはボランティアの受け入れ体制を作ることです。ジムニーのクラブやトライアル選手などにきてもらったら、たいていの場所に早くたどり着ける。そういった知恵は無い。

被災者の方達が落ち着いたら、役所などでギャランティを出して被災した人を雇ったらいい。避難所には炊き出しが出来る人だっているし、簡単な作業なら出来る人もいる。そういった人に仕事を出すことでやる気が出てくる。いずれにしろ過去の教訓を活かすことを考えるべきだ。私は「ダメだこりゃ!」と思ったので、知り合いを助けることを考えてます。

ガスボンベで稼働する発電機も便利

たまには自然災害を考え、生き残る戦略を練りましょう。必要な物は1)一週間分の水&食料。2)発電機。3)海や川の近所ならゴムボート。4)オフロードを走れるタイヤを履かせた小さいバイク。この4点さえ準備しておけば、たいていことは切り抜けられる。いずれも平時は遊び道具になる。アウトドアグッズなんかも揃えておいて損ないです。

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