お別れの会

昼過ぎまで原稿書き。夕方、黒須さんという知人の奥方のお別れの会に行く。黒須さんは米国日産に駐在していた当時(1990年)、私に「アメリカのレースは楽しいですよ!」とケシかけ、ウイロースプリングスサーキットまで見に来いと誘う。折しもバブル景気の真っ最中だったこともあって翌シーズン出ることに。

なのに黒須さんはシーズン前に「頑張って下さいね!」と日本勤務となってしまった。もちろん後任の土井上さんという方に引き継いでくれましたけど。ちなみにこのシーズンは4戦出場して最初の2戦は予選でエンジンブロー(300ZXはオイルイパンが浅く偏り防止板を付けてもダメだと2回目のブローで判明)。

本来なら「ボクがアメリカ側の手配を手伝いますから出ましょう!」の黒須さんでなく、土井上さんが2度もエンジン載せ替えの手配をしてくれました(休日を返上してサーキットにまで様子を見にきてくれたほど)。幸い、残る2戦でクラス優勝(3リッターNAクラス)。上のクラスは5,7リッター積むカマロです。

黒須さんとレースに出たハズの1991年シーズンに(黒須さんもS30の240Zで違うカテゴリーのレースに出ていた)、奥方にご挨拶出来たかもしれない。親しくお付き合いして頂いたアメリカ駐在の方は、皆さん奥方にご挨拶してます。黒須さんは単身赴任だったけれど1戦くらい見に来たでしょうから。

なのにご挨拶する前にお別れの挨拶になってしまいました。私と同じ1958年生まれ。お別れの会にはたくさんの写真が展示されており、びっくりするくらい美しい人でした。南こうせつさんを妙にしたような黒須さんとの結婚式の写真など見て「もっと良い人がいくらでもいたろうに」と思った次第。

昨年あたりから身体の具合を悪くしている、という話を聞いて心配していたのだけれど、先月訃報と接し、残念に思いました。人世90年近く。まだ40年は楽しめたのに。御両親共に御健在なので、残された家族もさぞ辛いことでしょう。たくさんの方が参列したお別れの方を見ても、奥方のお付き合いの深さを感じます。

自分より先に逝ってしまった子供を持った親の気持ちと、長年連れ添った奥方に先立たれてしまった旦那の気持ちと、私と同じ年で永眠した奥方の気持ちの全てを感じてしまい、けっこう辛かったです。黒須雪子さんのご冥福をお祈りします。

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