人としてカッコよく
中野へ行くべく自転車で家を出ると、いつもの「昼間だけ右折禁止」の場所でパトカーを含め警官多数で取り締まりをしている。イマドキの東京はガソリン不足のため昼間だって道路ガ〜ラガラ。右折禁止は渋滞防止。右折車両いたって渋滞なんかしませんがな。治安維持のためなら交差点に警官一人立たせるだけで十分かと。
こんなところでお茶引いているなら夜間になると真っ暗な被災地に行って欲しい。基本的に安全な日本ながら、犯罪者がいないということじゃありません。警視庁は素晴らしい手柄を立て賞賛されている東京消防庁や自衛隊と好対照。実際、通りがかりの歩行者にまで「なんでこんな所にいるのか?」と意見されてました。
中野に行くとスーパーは相変わらず生鮮食料品を除いて品不足傾向。されど刺身や野菜類、肉類、お総菜、弁当類まで豊富にある。焦って買いあさらず、あるものを食べたらいいのに。お米だってずっと売り切れているが、炊いたご飯は通常の価格。そもそも寿司屋もうなぎ屋もラーメン屋も普通に営業してます。
ただ野菜の放射汚染などで、これから不足傾向になる物資もあろう。昨日ツイッターで「農作物は落下してくる放射性物質が付くのは当然のこと。洗ったら落ちるかどうかの数値も併記して欲しい。でないと風評被害で全ての農作物が心配になります。もし安全な数値まで落ちるのなら、茨城のホウレン草も廃棄しないで使う方法を考えられる」と書いた。いろんな意味で知恵が欲しい。
昨日物資を運び込んだいわき市青年会議所のAさんからメールが届きましたので以下紹介させていただきます。
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昨日は本当に本当に貴重な物資を我々に届けて頂き誠にありがとうございます。この地を何とかしたいと思っている仲間に連絡し20Lづつ配りました。
おかげ様でかなり遠くの老人ホームまで不足している支援物資を届ける事が出来ました。また、路上で止まってしまっていたシルバーマークを付けたおばあさんにわけてやることが出来ました。まだ半分以上残っているので大事に使わせて頂きます。
国沢さんには、被災地であるいわきをみて、どのようにお感じになられたでしょうか?
おそらく人が少ないと感じたのではないかと思います。もともと人口34万のまちですが今回の原発事故の件で大半の人が県内外へ避難してしまいました。1日でも早く昔のいわきに戻したいと思って頑張っていますが、若者がいないのです。
私も子どもと妻と親を県外へ避難させ毎日 復興の為に悪戦苦闘しております。もう少しで原発問題が何とか目処がつきみんなが帰ってきて復興に向けて本当の意味でスタートが出来ると考え、残った仲間とがんばっております。
ご恩の為にも私たちは地域の為にがんばります。ありがとうございました。
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本日はやはりラリーの際に援助していただいた土浦の青年会議所OBの方が、いわき市への物資輸送作戦を敢行いたしました。明日は神戸に住む援助メンバーの方が、同じく”貴重なモノ”不足に苦しむ福島市の青年会議所の方に届けてくれることになっています。以下、土浦の方です。
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国沢師匠の素晴らしい行動力に触発され、いてもたってもいられず、私もいわき青年会議所に支援物資を届けに行ってきました。
緊急車両の通行証は、地元の警察署で速やかに発行してもらえました。道中の常磐道は、師匠の日記にある通り、交通量は少なく、ローリーは往復で1台見かけたのみでした。
わずか往復4時間の、ほんの私の気持ちからの行動でしたが、今回速やかに行動に移せたこと、またいわき青年会議所の方に喜んでいただけたことに、自分なりの評価をしたいと思います。
国沢師匠、アドバイス有難うございました。
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本日10時から常磐道はいわき中央まで開通した。いわき方面に困っている知り合いがいたら、政府に期待せずダイレクトに物資を届けられます。もう数日するとガソリン不足は解消すると思う。東京からだと往復450km。燃費良いクルマなら補給なしで往復可能。今のままなら放射能は心配ないです。参考までに中越地震の際のレポートを。
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国沢先生、土浦の方、神戸の方、貴重な物資を運んで頂きありがとうございます!
実家が福島市で母方の実家がいわき市の私にとって、未だに物資不足で苦しんでいる故郷の状態には、耐え難いものがあります。
ですがこのように行動に移して下さる方々がいると、本当に多くの方が救われるでしょう。感謝感謝です[E:crying]
私一人ではごく限られた人(家族・友人)にしか物資を届けられませんでした。皆様を見ていると、トラックの手配、申請、物資確保など、こんな時に人脈や行動力が問われるのだなぁと切に感じました。
私の勤め先は仙台が本社の企業ですので、今後の見通しは全くたっておりません。”もしも”の時は被災地の復興に尽くしたいです!
国沢さん
援助についてわかっておられる方の支援。
ありがとうございました。
私は九州におりますので、この支援については気を揉むばかりです。
私たちの分まで支援をしてくださっていることに
感謝し、御礼申し上げます。
また、ちょっとしたアイディアは
相手を思いやる感性から出てくるものだと
国沢さんの記事を読みながら改めて思いました。
認知症の母と二人で暮らしています。
母が通っている『デイサービス』に連絡をし、送迎用のガソリンや、お風呂を沸かす灯油がない事が分かり、灯油と携帯ガソリンを持っていきました。
直接、被害地の方のご支援には、できませんが
自分の身近な所から、自分の出来る範囲で、困っている人に手を差し伸べればと思っています。
この数日で、原発に対する『自分のモノサシ』が出来ました。『自分のモノサシ』の中で、政府、東電、大手マスメディアに対して???な所が多々あります。
もっと、的確な情報を発信するべきだし、最悪の場合を
想定して情報を発信すべきだと考えます。
一番問題なのは、原発は、アクシデントマネジメントが
メーカーの自主性に任せており、国の関与がないこと。
シビアアクシデントに対して政府、東電の認識が欠落していることです。
いわき救援、本当にありがとうございます。
私はつくば市で育ちました。同級生が、いわき市小名浜の勤務医です。原発の風評被害の中、孤立無援でみんなのために戦っていた彼のことを思う度に、いたたまれない気持ちでした。
つくば市二は、友人などのSOSもあり、二度行きました。震災以来、断水・停電・ガソリン欠乏に苦しみました。そんな中でも、福島からの被災民をどんどん受け入れています。廃墟になっていた公務員住宅も、被災者の皆様の住居として再利用されます。元住民として、誇らしいです。