車屋四六の四方山話/1966年にバンコックで元祖トゥクトゥクに乗る
1966年バンコク市内を走るミゼットタクシー双前照灯だから二代目。全長1540mm×全幅1200mm・車重410kg・空冷単気筒305cc・12馬力・3MT・最高速度65粁/右にブルーバード310とルノー16。
これで事件発生なら物語が書けるのだが、ほどなくメコン川ぞいのオリエンタルホテルに着いた。いまオリエンタルは国際的評価で一流だが、当時一番のエラワンホテルに泊まるには懐が寂しいので選んだホテルだった。まだ国際的に一流じゃなかった日本航空=JALクルーの定宿でもあった。私の宿泊料金1泊180バーツほどだったと記憶するが、1バーツ18円ほどだったから、エアコンが効いた一人部屋に3200円ほどで泊まれたことになる。
エアコンなしなら、モ少し安い1000円強のホテルもあったが、慣れない南国では寝られそうもないので奮発したのだ。「オキャクサン・アブナイ」と、白タクのドアを開けてくれたドアボーイに叱られた。料金メーターなどないが、ボーイが交渉してくれたので、ぼられないですんだようだ。
ダイハツの初代ミゼット誕生は昭和32年=1957年。ソ連が世界初人工衛星スプートニクの打上げに成功・聖徳太子の五千円札誕生・日本初フィルター付の煙草ホープ発売/10本入40円・島倉千代子の♪東京だよおっかさん♪がヒットしていた頃だった。
二代目ミゼットと大村昆と佐々十郞/大阪ダイハツ本社屋上と思われる。
ちかごろ三輪車は珍しいが、そのころ活躍していた小型貨物自動車は三輪車ばかりだった。ダイハツ、マツダ、オリエント、三菱、ジャイアント、東急くろがねなどが威勢良く走っていたから、小さな軽三輪貨物車も珍しくはなかった。が、ミゼットは軽三輪の元祖ではない。すでにホープスター、レオ、マツダ、ハスラーなどの先輩がいた。
ミゼットの爆発的人気の原因は安いからだった。機能優先、無駄をはぶいて金18万5000円也。その格安値段と人気をあおるCMの連係プレイが見事に的を射たのである。そのCMのキャラクターは、関西では抜群人気の大村崑と佐々十郞。そのコンビが主人公の人気TV番組{やりくりアパート}も放映中だった。一世を風靡した三輪貨物自動車は、昭和35年/1960年のピークを過ぎると販売量が下降。ミゼットも62年に生産を終了して、ダイハツは四輪自動車メーカーへと脱皮した。
コロナ発生前バンコクを走るトゥクトゥク。タイ語で料金交渉が必要だ
1962年は、ビートルズ旋風に火がつき、世界的アイドル・マリリンモンローが受話器を握ったままベッドで死亡・堀江謙一が世界初ヨット太平洋単独横断に成功・植木等のスーダラ節が流行っていた。日本で消えた軽三輪ミゼッドだが、輸出先タイではタクシーとして発展成長。いまでも市民の足としての大活躍で、バンコクの風物詩にもなっている。小排気量2サイクル特有の排気音から生まれた愛称が、トゥクトゥクだった。<車屋四六のブログへ>
<おすすめ記事>