車屋四六の四方山話/BMWも敗戦後、存続が難しくなったものの3シリーズの始祖で復活する
BMWの青息吐息=アオイキトイキの頃を知っていますか? WWⅡで(第二次世界大戦)、世界に先駆けてジェット戦闘機のエンジンを造ったBMWも敗戦で元の自動車屋に戻った。ベンツは安い170で復活したけれど、BMWは高級なV8搭載の501で復活したのが裏目に出た。
ハインケルHe162戦闘機とBMW003型ジェットエンジン/米チノの博物館で
敗戦貧乏のドイツで高級車の買い手がなく倒産寸前、BMWは青息吐息になった。が、捨てる神あればひろう神ありとは良く言ったもので、不評のイタリアのイセッタを買って、二輪用12馬力エンジンを載せたら快調に走るようになって、経営は立ち直りを見せ始めた。
BMWイセッタ/乗降は前から
700が生まれた1959年の日本は、ブルーバードが誕生した年。丸の内、日本橋、京橋、銀座に見慣れるネギ坊主が登場した。日本初のパーキングメーターで、とばっちりを受けた私は、皇居前広場に駐車して、大手町赤煉瓦街の会社まで歩くはめになった。700はイセッタがベースだから、ホイールベースが1700から2120㎜に伸びても、後輪駆動のRRのまんまだった。
BMW700-LS/独ロッソビアンコ博物館で
687ccエンジンは30馬力で最高速度120粁だったが、1962年に追加の700LSでは40馬力/130km/hへとアップし、当時このクラスでは高性能なスポーティーカーだった。RR特有のオーバーステアに悩まされたが、初期のポルシェ356ほどではなかった。更に1964年には45馬力にアップし、1965年迄生産されて、BMW再建に働き続けたのである。
青息吐息のBMWは、イセッタから700へという階段を上りながら息を吹き返し、ようやく念願の常識的乗用車市場に復帰することになるのだが、それが、現行3シリーズにつながる1500シリーズだった。
BMW1500/見栄っ張り用と言うだけにカッコー良いが
が、1500は、高級感もスポーティー感もない車だった。1966年ベルリンに行ったら「BMW1500は見栄っ張りが乗る車だヨ」と、ホルスト・ヘルグートが言った。彼はベルリンオペラの首席トロンボーン奏者である。
銀座のビアレストラン・ゲルマニアで出会い、その後親しくなった彼は、私を「ファウヴェー」と呼び、私は「オースト」と呼び合う仲になった。当時私の愛車はVWビートルで、VWはドイツ語でファウヴェーと発音するのが呼び名の由来。彼の名HORSTのHは発音しないのでオーストなのだ。
「金がないヤツはVWに乗る・金がないと思われたくないヤツがBMWなんだ」とオーストは言った。1500は貧しい見栄っ張りの車だったのだ。
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ドイツでの、BMW1500は、ベンツが、買えない人の、見栄っ張りの車だったのですね。しかしながら、プリンスは、ベンツでなく、これを、参考にして、セミトレのリア独立懸架と、SOHCの、初代ローレルを、開発したと、思います。それが、そのまま、510ブルに、スライド的に移行したので、(エンジンは、日産ですが)、日本に、与えた影響は、非常に、大きかったことになります。ハコスカGTのリヤサスも、その発展型と、考えられますね。