片山豊さんの訃報
アメリカに於ける日本の自動車ビジネス発展を大きく推進するという絶大なる功績を残した「ミスターK」こと片山豊さんが亡くなった。日本では「フェアレディZのお爺さん」くらいのイメージしかもたれていないものの、片山さんという「切れ者」が居なければ、日本車はここまでアメリカで成功しなかったと思う。アメリカの自動車ビジネスを根本から変えた、と言っても良かろう。
2008年9月。片山さんの話は本当に楽しかった
例えばアメリカでよく言われる「交換部品の翌日調達率」について初めて言及したのは片山さんである。それまで壊れてもいつ交換部品が届くか不明だった。片山さんはダットサンをアメリカで売るにあたり、徹底的なサービス体制を作り上げた。さらにアメリカで販売するためのクルマを本社に強く強くリクエストし続ける。初代フェアレディZ(S30)やブルーバード510は片山さんの企画だ。
日産本社はアメリカに於ける片山さんの大活躍を好ましく思っていなかった、というのは有名な話。 一度お会いし、話を聞いてみたかったものの、私が自動車メディア業界に入った頃、もはや引退された後の70歳。2008年9月にやっと実現した次第。2時間ほどたっぷりインタビュー出来たのだけれど、御歳99歳と思えないほど矍鑠(かくしゃく)としており、満州駐在時代の話なども、たいへん興味深かった。
人柄はとにかく明るい。湘南&慶応ボーイの見本のようなお方であります。役人気質優勢だった当時の日産本社の人間がうらやんだのも、よく解りました。初めて米国に渡ったのは昭和2年(1927年)とのこと。パッカードの12気筒を新車で見たとおっしゃっていたから驚く。
ちなみにアメリカで最も広く知られる殿堂である『自動車の殿堂』入りは、本田宗一郎さん、豊田英二さん、品質工学で自動車のクオリティを大幅に向上させることになった「田口メソッド」の田口玄一さんに続く4人目。アメリカでは本田宗一郎さんと並び、たくさんのクルマ好きから親しまれていた。
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